MMTに対する誤解に、「国債発行し放題、財政支出やりたい放題」みたいなのがあります。もちろんそうではありません。
財政支出には「供給力の制約」があります。
よく使われる例えが、
「レストランに入っていくらでもランチを注文することができる。カネの心配は無用。ただし、レストランの供給能力を超えて注文することはできません」
中野剛志さんに「MMTっておかしくないですか?」と聞いてみた
MMTの人には、中野剛志さんの説明がわかりやすいので引用しましたが、それだけのことです
というものです。
このレストランの例えのスキームで話を続けて、「法人税増税論」でもテーマとなる、お金持ちへの対し方について考えてみようかと思います。
消費と、生産、どちらが楽しい?
貧しい人は、まず衣食住を満たす必要があるので「消費活動」が最大の関心事です。
でも、豊かになってくると、
「認められたい」と「承認欲求」が強くなってきます。
それを満たすためには「消費活動」では物足りなくて「生産活動」への関心が高まってきます。消費者よりも企業家のほうが楽しい。そういう気持ちになります。
「お腹を満たすこと」より「料理を作りること」
お腹が空いているときは、とにかくお腹を一杯にしたいので、料理を作る側ではなく、食べる側に座っていたいです。
でも、お腹が一杯になると、料理を作る側で「美味しい!料理が上手だね」と言ってもらって、承認要求を満たしたいのです。お金ではなく、心を満たしたくなってくるのです。
そう、実際には、ほとんどの金持ちは、「お腹を満たすこと」より「料理を作りること」のほうに興味があるのです。
格差是正論の多くは、金持ちは貧しい人の分までどこまでも食べ続けたがる、みたいな現代日本では現実離れしたことを前提にしています。
そういう金持ちが、レストランを作ります。
国がするべきことは、客(国民)が美味しい料理が食べられるように、レストランに良好な環境を与えることです。
客(国民)が美味しい料理を食べられるようにするのが国の責任なのに、「このレストランは儲かってけしからん」とレストランを虐めても、それで損をするのは国民です。
レストランが縮小すれば、国民は困るのです。
レストランが拡大するほど、国民が食べられるメニューも増えるのです。それが、
「レストランに入っていくらでもランチを注文することができる。カネの心配は無用。ただし、レストランの供給能力を超えて注文することはできません」
中野剛志さんに「MMTっておかしくないですか?」と聞いてみた
という、MMTの「供給力の制約」であり、
みんなが得するか、みんなが損をするか、なのです。
MMT的に、お金持ちとの付き合い方考える
これを、MMT(現代貨幣理論)的に整理します。
我々は皆ロビン・フッドが大好きだ。ケビン・コスナーが愛馬に跨がってウォールストリートを走り抜け、国中の援助を受けるべき貧しい人々に再分配するために、富める上位1パーセントから数兆ドルの不正蓄財を盗んだら──何とも痛快ではないか?
富める者から取り上げ、貧しき者に分け与える。我々はそんな話が大好きだ。しかしそれは、貧困層を支援するためには富裕層により支払われる租税が必要だ、という誤解に基づいている。
「MMT現代貨幣理論入門」L・ランダル・レイ著
経済成長に与える影響とすれば。
つまり、非MMTで考えるのであれば、お金持ちから財産を取り上げることは、格差是正のためにありうる選択肢ですが(良い方法かどうかは別にして)、MMTに立脚するなら、まったく非合理的で悪影響しかなく、馬鹿げています。
お金持ちって、実際、どうなの?
もう一度、お金持ちの話に戻ります。
人は、消費活動が充足してくると、「自分がいかに社会に役立っているか」承認要求が抑えきれなくなって「生産活動」に関心の比重が移るのです。さらに、それも物足りなくなってくるとどうするでしょうか?
ビルゲイツ氏の場合
具体的な事例を描きます。
マイクロソフトの創業者であるビルゲイツ氏の名前は、多くの人が知っていると思います。Windowsや、Microsoft Word またExcel、パソコンを使う人なら、世話にならない人はほとんどいません、
そのゲイツ氏ですが、倹約家で、贅沢に興味がないことでも知られています。
世界中を出張しますが、ホテルに泊まる際にも高級さや広さを求めることはなく、寝る場所があり、インターネットがつながれば満足だといいます。
スーパーで買い物をするときにはクーポンを忘れず、昼食はマクドナルドのバーガーを好むといいます。
元マイクロソフト日本法人社長の古川享氏は、こんなエピソードを書いています。
ビルゲイツ君、搭乗券を見た瞬間に切れた!!! 空港の待合室で人も歩いている公共の場所で、いきなり罵倒しまくり..(まぁ、こういう時は人前だとか忘れてしまうのだけど)..何にキレまくっていたかというと、「サム、お前に任せている日本のマイクロソフトはこんな無駄遣いをする会社なのか、何だこのファーストクラスの搭乗券ってのは、1時間ちょっとのフライトに何故そんな無駄な会社の金を使うんだ!!!」と怒っているのです。
私の知っているビルゲイツ、その6
そのゲイツ氏は45歳のとき、(世界における病気・貧困への挑戦を主な目的として)慈善団体のビル&メリンダ・ゲイツ財団を設立しました。6年後、友人で、世界長者番付首位を争うバフェット氏が資産の85%(85%ですよ!)をゲイツ財団などに寄付し、財団の規模は倍増。その2年後、ゲイツ氏はマイクロソフトでのフルタイムの仕事から引退し、さらに2年後の59歳で会長職も退いて財団に専念するようになっています。
事業の一例として「ポリオ撲滅事業」を紹介します。
ポリオは、主に乳幼児が発症する感染症で、感染すると手足などの麻痺が一生涯残ることもある病気です。(略)
本事業では、世界中のポリオ撲滅を使命として掲げるビル&メリンダ・ゲイツ財団(以下、「ゲイツ財団」)との「ローン・コンバージョン」が採用されます。「ローン・コンバージョン」は、パキスタン政府の努力により、本事業を対象に設定する指標が達成された場合、円借款による貸付金をゲイツ財団が代位弁済する仕組みです。これにより、パキスタン政府のポリオ撲滅に向けた継続した努力を促進し、同時に、同政府のポリオ対策への財政負担の軽減に寄与することが期待されます。ゲイツ財団との連携は、2011年に承諾されたパキスタン向け円借款「ポリオ撲滅事業」及び2014年に承諾されたナイジェリア向け円借款「ポリオ撲滅事業」に続き、本件で三例目となります。
独立行政法人国際協力機構ニュースリリース
同財団の日本常駐代表である柏倉美保子氏は、書いています。
財団で働き始めた当初最も驚いた事が、財団という形態でありながら民間企業以上に、戦略的に分析、検証、立証を繰り返す姿勢でした。
ビル&メリンダ・ゲイツと働く日本人が告白するゲイツ財団と日本の関係
先に紹介した飛行機搭乗券のゲイツ氏のエピソードを彷彿させますが、
役所とは、社会で最も非効率な組織です。政治家の駆け引きで予算が決まり、コスト意識の低い「お役所仕事」で執行されます。私たちが税金が嫌いなのは、こういった役所の体質を知っていることが大きいです。しかし、こうした団体は、民間企業のノウハウで非営利な公共事業をおこなっています。
お役所に任せるより、ずっと、病気・貧困の解決が進むと思います。
政府や民間企業との役割分担については、
ゲイツ財団のお金の使い方としては、他の組織ができない、又はやりたがらないリスクを取り、最先端の研究や貧困層のためのイノベーションに資金提供することはできます。
一方、貧困問題の解決において最も重要となる、効果の高い対策を持続可能な形へとスケールアップさせることは、政府や民間企業にしかできません。
ビル&メリンダ・ゲイツと働く日本人が告白するゲイツ財団と日本の関係
マラリア撲滅などは、利益モデルがなく、民間企業も政府も投資しません。自分たちは、こういった、リスクを恐れずに実験的プログラムに投資する「政府機能に対するベンチャーキャピタル」だというのです。
また、ゲイツ夫妻はバフェット氏と2010年に「保有する資産の過半を生前、または死後に慈善活動に寄付することを誓約する」という慈善活動「ギビング・プレッジ」を始めました。
フェイスブック創業者のザッカーバーグCEOは、「ギビング・プレッジ」への参加について、当時26歳でしたが「多くの人は現役時代の終わりに社会への還元を行う。しかし人生の早い段階で還元し、その成果を見ることができるという機会もある」と述べています。
26歳でまだまだ人生が長いのに、99%の寄付ってすごくないですか?いかに累進課税でも99%は無理です。税より、自発的意思のほうが、ずっといいという好例です。
お金持ちって、社会の敵なの?
敵対心は、根深い
筆者は、アップル信者と言われてもいいほど、アップル製品が好きです。特にMac。そのため、マイクロソフトのことは、Macを滅ぼそうとしている悪の帝国のようにずっと思ってきました。ビルゲイツ氏こそは、ダースベイダーでした。
ですから、ビルゲイツ氏が、財団を立ち上げたことをニュースで知っても「資本主義の権化が悪の本心をカモフラージュするためだ」と、動機を下げすんでいました。ビルゲイツ氏が、財団で、良い活動をするニュースが流れれば流れるほど、腹が立って仕方がありませんでした。「ビルゲイツ氏はいい人なんだ」と受け入れるまで、無駄に憎しみを燃やしてきたのです。
滑稽ですよね。笑えます。
でも、世の中に存在する憎しみって、このレベルのものが多いです。
そもそも、なぜ、お金持ちが敵なのですか?
お金持ちへの敵対心って、MMTに必要ですか?
「富豪は庶民から冨を搾り取っている悪い奴らだから、税金で締め上げてやるのだ」みたいな態度で出れば、富豪たちは、反発して、あらゆる手で節税しようとするのは当然です。役所が如何にコスト意識が低いか、よく知っていますから、そんなところで自分たちのお金は使われたくないのも理解できます。
でも、お金持ちには、国や官僚が持っていないような未来の豊かさを実現する構想力と実現力があります。お金持ちは、お金の使い方が上手なのだから、自分のお金の使い道はお金持ちに任せたほうが、ずっと上手くいきます(と思いませんか?)。
お金持ちは
を見つけ、それに対して対処することに対して、平凡な人よりも、はるかに能力が高いです。
敵を作れば、その敵は反発し、目的実現の大きな障害となって立ちはだかります。「良い社会を作り、みんなが幸せになる」という目的が大切ですか?それとも、わざわざ敵を作って叩きたいですか?
お金持ちはあなたから、富を奪いましたか?
いや、富を与えてくれたのではないですか?
ソフトバンクの孫氏のおかげで、高嶺の花だったインターネットは、私たちの日常インフラになりました。
ユニクロの柳井氏のおかげで、高級服だったダウンジャケットやフリースは、日常服になりました。
庶民から冨を奪うことで豊かになったのではなく、
庶民に冨を与えることで、庶民の絶大な支持を得て、お金持ちになったのではないですか?
日本で1、2の富豪だから代表として名前を出しただけです。一般論で考えてください。
孫氏の資産が、今の5兆円から5000兆円に1000倍になったら格差はすごく拡大するが、庶民にとっては殆ど関係ない。庶民にとっては年収が100万円から1000万円に10倍になることの方が、ずっと重大なのだ。
格差解消より、貧困解消の方がずっと大切なのだ。
ほとんどの大富豪の資産は株式の時価評価であって、大量保有者が売れば暴落するので、売るに売れないしね。だから実体経済にほぼ影響がない。
お金持ちに対しては、北風ではなく、太陽路線のほうが、いいことないですか。
「みんなの幸せ」の実現は、味方を増やし続けることで実現すると思います。
社会の分断を作っているのはお金持ち?それとも?
信頼こそ経済の基盤
絶対的貧困は、道徳の荒廃を生みます。貧困は何よりも優先的に解消しなければなりません。
でも、貧困が解消されたとしても、相互信頼がなく道徳が尊重されない社会は、維持コストが高く、経済が成長しません。経済政策のテクニックを論じる前に、社会全体の信頼感を醸成することを、まず優先させるべきです。
お金持ちへの北風路線とMMT
「お金持ちからは、高い税金をとればいいんだ」みたいな北風路線。
税は財源ではないと言いながら、高い税をかけられれば、お金持ちは敵意を感じます。「どうしても税を逃れてやる」と反発し無駄な対立を生みます。
こちらが敵対的な態度、対応をとれば相手は激しく抵抗するので、社会の発展は、なかなか前には進みません。
表面上は、敵を押さえつけることに成功したとしても、相手は常に仕返しの機会を狙っているでしょう。その憎しみが分断を生みます。
恨みをたくさん抱えている社会は、貧しい社会なんだと思う。
MMTで考えるとすれば、税は財源ではないのですから、お金持ちから高い税金を取ったところで、誰も豊かになりません。
「お金持ちが貧しくなったから、これで平等だね」と分断がなくなるとでもいうのでしょうか?いやいや、お金持ちの反感は強くなり、信頼関係は低下し、社会の分断は増すだけです。
味方にするべき人を、わざわざ敵にする人が、社会の分断を生んでいます。
「社会の分断がー」と憎しみを拡散している人こそが、社会の分断を深刻化しています。
信頼のない相互不信の社会を作りたいのですか?
お金持ちへの太陽路線とMMT
お金持ちに対して、一緒に前に進む味方として接すれば、社会の発展を前に進める力が倍増します。
お金持ちにはお金持ちのやり方で、社会を良くしようと頑張っているのだ(実際にそのとおり)と信じ、それを前提に考えることが、私たち自身のためなのです。
お金持ちは、新しいことにチャレンジする冒険精神が、私たちよりも多いので、強制的な方法よりも、自発性に任せるほうが上手くいくのです。
メジャーリーガーのダルビッシュ有選手は、年俸23億円をもらっています。これを、「ダルビッシュ選手との間に分断がある。彼の収入を日本人サラリーマンの平均年棒数百万円ぐらいにして、分断を解消すべきだ」と思いますか?
孫氏も、柳井氏も、私たちの生活を豊かにしてくれたヒーローではなりませんか?
ヒーローを大切にする社会で、いろんな分野で、ヒーローを目指す子供が多くなれば、未来は明るくなりませんか?
一日のほとんどを、仕事に使う人もいれば、
趣味や、家族団らんや、他の時間を優先する人もいます。
何を優先するのかは人それぞれです。
格差解消をいうなら、保有財産の多少だけではなく、時間の格差、心の格差、様々な要因を考慮すべきであり、そんなことは不可能です。
「幸せ」は、人と比べることではありません。一方、「格差」とは、人と比べて判定することです。よって、格差は、幸せの指標ではないのです。大切なのは、格差の解消ではなく、貧困の解消です。
「社会の分断がー」と声を大きく叫んでいる人こそが、不必要に社会の分断を演出しているように思いませんか?日本国民の多くは、そんな分断を感じているようには思えません。嫉妬や不信が分断の原因となります。嫉妬や不信から生まれる政策が、分断を解消するなどあり得ません。
資本主義の原点
私が大学に入学したとき、最初に課題図書だったのが、マックスウエーバーの名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でした。マックスウエーバーは、宗教改革の影響を受けたキリスト教徒が、禁欲的な生活と勤勉な生産活動に取り組んだことが近代の資本主義を生んだと書いています。
かれらにとって、「自己責任」とは、「困っている人を助けることは、国の役割でも教会の役割でもなく、自分自身の役割である」という意味でした。
政府の役割は重要です。でも、政府は民主主義のプロセスを重視することもあり、どうしても、対応が遅く、手法が古くなってしまいがちなのです。最新の手法を使って、多様な手段で、困っている人を助けることは、国ではなく、社会の構成員それぞれが、取り組むほうがいいのです。
まとめ
「なんだ、お金持ち擁護論か」と思うかもしれません。いいえ、逆です。
お金持ちには「高い税金を払っているのだから、これで十分でしょ。」ではなく、もっと社会的な自覚と責任を感じてもらいたいのです。それが、北風ではなく太陽ということです。「期待」が暑すぎてコートを脱ぐしかないなあ、と思わせるのです。そして、お金持ちとは、庶民の期待に応えられたときの「快感」を十分に知っている人たちなのです。
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