今年の読売ジャイアンツ(巨人軍)。4月には最下位にまで落ちましたが、ようやく勝率5割に乗せました。チームの主力、坂本選手は、10年以上、日本のプロ野球界を引っ張ってきた好選手です。でも、開幕後の打撃成績は散々でした。スタメン落ちもしました。でも、そういうときこそ、若手にとってレギュラーを奪うチャンスなのです。
振り返れば、阪本選手が巨人に入団した2007年、ショートには、二岡選手という不動のレギュラーがいました(その年、打率.295、20HR、83打点 )。しかし、翌年、二岡が怪我で離脱したチャンスを掴み、19歳の阪本選手はレギュラーを奪ってしまったのです。
不況期には、新しい成長企業が出てくることが多い
このようなスポーツの世界の自由競争は、自由主義経済と似ています。
景気が低迷しているとき、主力企業の業績も悪化することが多いです。そして、そういうときこそ、新規成長企業が躍進するチャンスなのです。
古くは、第二次世界大戦直後の混乱期に、ソニーやホンダなどの企業が出てきました。平成初期のバブル崩壊時には、デフレ対応に苦しむ主力企業を尻目に、ユニクロなどのデフレ勝ち組企業が台頭してきました。
リーマンショックの直後も、多くの有望企業が生まれました(新産業の象徴とされることが多いUberが生まれたのも、2009年です)。
歴史的に見ると、世界を変えるようなイノベーションを生み出す企業やビジネスで大きな勝利を収める企業は、常に不況期や悲観論が増えているときに創業されている。さかのぼれば、マイクロソフトやアップルがそうだった。グーグルにしても検索エンジンの後発だったうえ、ITバブル崩壊間近の創業で資金集めは容易でなかった。フェイスブックもソーシャルネットワークブームが沈静化したころの創業だ。
当たり前のことだが、厳しい環境の中で生き延びて、しっかりとした理念があるからこそ、骨太で長期的な優位性を持ったベンチャー企業になれる。景気が良く、誰もが簡単に資金を受けられるような状況で安易に始めたベンチャー企業は長続きしない。
2016.2.12 日本経済新聞コラム「伊佐山 元(ベンチャー支援組織 WiL共同創業者兼最高経営責任者)」
消費者目線で考えても、その理由は容易に想像が付きます。家計が苦しくなったときこそ、「携帯電話会社を変えてみようかな」「保険を見直してみようかな」と消費行動を変化させがちなのです。
筆者は、印刷のラクスルを(安いので)よく使っています。ラクスルは、未稼働の印刷会社をシェアリングするプラットフォームとして、これもリーマンショックの直後の2009年に生まれました。もし、これが好況時であれば、印刷にコストカットを求めるニーズが高まらなかったでしょう。そもそも、未稼働の印刷会社をシェアリングするという発想自体が、不況を逆手に取っています。そして、景気が好転しても、流れは元に戻りません。
人は、経済状況が好調なときは、変化を望まないことが多いように思います(それぞれですが)。しかし、不調となり不満が出てきたときこそ、その不満に応えることができる新企業・サービスにとってチャンスなのです。
経済成長の前提は、実力主義で不公平がないこと
もう一度、プロ野球を例にとります。レギュラーのスタメン打順4番であっても、成績が悪ければスタメン落ちになります。2軍の選手であっても、成績が良ければ1軍のレギュラーになれます。
競走の切磋琢磨が、選手を強くします。選手同士はライバルですが、「負けるものか」と競争の中で、ライバルを意識し、ライバルに学び、長所を見習い、尊敬しあえるようになります。
自由主義経済とは、参加者が皆、同じ条件で競い合うスポーツのようなもので、激しく競い合う一方で、競争を離れたところでは、お互いの健闘をたたえ合うものだと思います。そのための条件は「実力主義で不公平がないこと」です。
もし、これが、レギュラーの選手は、どんなに調子が悪くても、打順やポジションが約束され固定していたらどうでしょう。控えの選手、2軍の選手は、やる気をなくし、追い上げもないため、レギュラー選手も努力しなくなるのではないでしょうか。立場逆転の可能性がなくなることで、相手の立場に立って考えることがなくなります。相互理解がなくなります。
あるいは、監督が「実力がある者も、ない者も、等しく試合に出るのが平等だ」とか言い出したら、どうでしょうか。一見、みんな仲良く美しい人間関係のように見えますが、頑張っている者が評価されないようでは不満が鬱積します。
アマチュア(趣味)の世界なら、「上手であろうが下手であろうが関係なく機会均等で」は、微笑ましいです。でも、プロでそれをするなら、侮辱でしかありません。
プロ(仕事)とアマ(趣味)の違い
では、プロ(仕事)とアマ(趣味)の違いとは何でしょうか?
プロとは、自分が提供した物サービスに対して、消費者(ファン・客・受益者)が金銭的対価をもって評価し、それをもって生計を立てることができる人のことです。それに対して、アマとは、それで生計が立てられない人のことです。
どんなに野球が好きでも、チームの足を引っ張り、ファンを失望させるプレイしかできなくなったら、もうプロであることを諦めなければならないのです。
プロになることができる人、できない人の数は、消費者の動向によって変動します。
プロ野球選手の枠は約900人ですので、日本で数百番目ぐらいの実力でもプロになれますが、マイナーなスポーツでは、トップレベルでもアマのこともあります。
また、総務省の統計によると、日本に事務従事者は1300万人います。
もし、あなたの野球の実力が、日本で1000番目なら、野球が相当に上手だと思いますが、でも、プロ野球選手にはなることができません。一方、事務能力なら100万番目でもプロの事務従事者になることができます。
残念ながら、自分がしたいことと、市場が自分に求めていることは違うことが多いのです。「自分が喜ぶこと」をするのが趣味。「他の人が喜ぶこと」をするのが仕事です(両方が重なる人は、幸せです)。
自分がどんなにその仕事にこだわりがあっても、消費者から金銭的評価を得られなければ、プロ(仕事)ではなくアマ(趣味)なのです。
それでも、「自分はどうしても、この道で生きていくんだ」とチャレンジを続けるとするなら、そのバイタリティには感心しますし、(内容にもよりますが)頑張って欲しいと思いますが、
「自分が、この道で生計を立てられないのは、不景気のせいだ。政府のせいだ」とか言い出すようなら、その時点で、プロとして失格だと思います。
消費者から必要とされていない企業は、趣味活動をしているだけ
以上、個人で考えてきましたが、これを企業で考えてみるとどうでしょうか。
企業は、消費者に物サービスを提供し、金銭的対価を得て、長期で利益をあげていくものです。もし、消費者からの金銭的対価だけで継続的利益をあげることができなかったら、プロではなくアマです。
もちろん、公益活動をする団体など、利益をあげられなくても社会が必要としていることはあります。でも、企業は違います。
消費者から必要とされていないので利益を生まず、政府から補助金を受けているような企業(以下、厳密な定義とは異なりますが「ゾンビ企業」と書きます)は、趣味活動をするために生活保護を受給しているのと同じことです。いや、それでは、生活保護受給者に失礼です。だって、生活保護は働くことができなかったりする国民の憲法第25条に保障された権利です。
でも、ゾンビ企業に雇用されている労働者は、そうではありません。社会の役に立つことができるはずなのに、労働者はゾンビ企業に雇用されているせいで無駄働きをさせられているのです。「労働者の雇用」を人質にとって「補助金をよこせ」と要求するゾンビ企業は、本来なら国民を豊かにすることができるはずの貴重な資源(特に労働力)を浪費しており、社会にとって有害な存在です。
消費者から評価される企業が雇用を増やし、消費者から見捨てられたゾンビ企業が雇用を失っていく。このような形で雇用移動がおこなわれてこそ、企業が供給する物サービスと、消費者のニーズがマッチングされるのです。これが正常な経済の姿です。それなのに、政府は、ゾンビ企業の雇用を守ることに熱心です。
外から見て趣味をしているようにしか見えない個人が「自分が、この道で生計を立てられないのは、不景気のせいだ。政府のせいだ」とか言い出すようなら、「あんたの実力のせいだよ」と言われて終わりです。でも、企業や事業者の場合は、なぜか、政府がお金を出してくれるのです。
プロ野球の例に例えれば、
実力もなく、凡打やエラーを繰り返す選手がスタメンに並んでいるために、将来を嘱望される若手選手が実力を出す機会を奪われています。これでは、チーム日本の成績が低迷するのは当然です。
「いや、今は赤字を垂れ流している企業でも、大化けするかもしれないだろう」と主張する人もいます。でも、企業の隠れた可能性を見出し、援助するのは、銀行や投資家の役割です。銀行や投資家は、判断を誤れば自らが大損するリスクを取って、資金を必要とする企業を目利きしているのです。
リーマンショックのように金融機能不全になるような事態が起きているのではない限り、その道のプロの銀行等に任せるべきで、その道のド素人である政府は介入してはいけません。
経済の新陳代謝は、質の変化を伴う
言うまでもなく、今回の投稿で書いているのは「ベテランも若手も公平な実力主義で」ということであり「ベテランは退場しろ」というようなことではありません。強いチームは、ベテランも若手も、それぞれバランス良く頑張っているチームです。
そのうえで、若手の役割を挙げるとすれば、次のようなことになります。
イノベーションは、新陳代謝から
プロ野球の新旧交代に例えてきましたが、経済の新陳代謝は、多くの場合、質の変化を伴うという点で違います。
あえて、プロ野球に例えるなら、木製バットでプレイしていた旧世代に対して、高反発新素材製のバットを使う新人が現れたようなものです。でも、そんな新素材は、ルール違反ですよね。
いやいや、スポーツの世界では普通のことで、テニスでは、ラケットは木や金属製だったのが、今ではカーボンが主流になっています。棒高跳びもカーボンファイバーのポールが登場して記録が飛躍的に伸びましたし、陸上競技は、スパイクが改良されています。
新しい技術を制するものが、次の時代を制するという面もあります。「プロ野球のバットは木製に限る」という規制も、いずれ、見直されるかもしれません。
話を経済の話に戻します。
既存企業発ではイノベーションが起こりにくい理由は簡単です。
例えば、自動車のトヨタを例に取ります。これまでのガソリン車は、エンジンの中でガソリンを燃焼させることで発生するエネルギーで走ります。一方、次世代の主流と目される電気自動車は電気で動くモーターを駆動力にして走ります。まったく、仕組みが違います。
トヨタの下請け企業は、4万社を超えると言われています。そのなかには、エンジンに関わる企業も多くあります。これらを含めた企業群の技術とノウハウの蓄積が、トヨタの優位性なのです。でも、エンジンを作ってきた下請け企業に「モーターやバッテリーを作れ」と言っても、原理が全く異なるため簡単ではありません。これまで技術やノウハウで大きく前を走っていたのが、「新しい企業と同じスタートラインにつけ」という競争に巻き込まれるのです。トヨタがガソリン車を捨てることは、ずっと築きあげてきた優位性を捨てるということなのです。
もし、今後もガソリン車の時代が続くのであれば、トヨタは、これまで築き上げてきた優位性を生かして、先頭を走り続けることができます。何を好き好んで、その優位性を捨てて、自ら電気自動車を選ばなくてはならないのでしょうか。苦渋の決断、もう、電気自動車への流れは止められないと判断して、やむを得ず取り組まざるをえなくなっているのではないでしょうか。
トヨタは、優良企業だと思っていますので、なんとか時代を切り開いてほしいと願います。
トヨタに限らず、既存企業は、何らかの優位性があるので、業界でポジションを保つことができています。イノベーションは、その優位性を無にしかねませんので、既存企業は恐れ、ベンチャー企業は歓迎するのです。
政府が新陳代謝を邪魔している
大正時代、関東大震災が日本経済を襲いました。政府は、被災企業の救済のため、震災手形割引損失補償令を出しましたが、それが震災前から放漫経営していた企業や、その企業に資金融資していた銀行の整理を先送りし、昭和金融恐慌(1927年)の原因となったとされています。
たとえ、大災害であっても、政府の救済財政支出は、よくよく検討した方がいいです。まして、不況では。
100年を経て、日本政府は何も学んでいないように思えます。コロナ禍対策のバラマキ財政支出によって、焼け太りした事業者が多数、発生しました。政府は、コロナ禍がなければ廃業していたような事業者に対して、延命資金を与えてしまいました。どういう結果になるんでしょうか。
好況は経済を量的に成長させるが、質的な向上は不況の際に起こりがち
関東大震災の前と後では、社会がガラッと変わったと言われています。第二次世界大戦の前後もそうです。昭和バブルの前後もそうです。コロナ禍の前と後でも、そうでしょう。もう、社会が、コロナ禍の前の状態に戻ることはないのです。
戦争や災害や不況は不幸なことであり、できるだけ避けたいものです。でも、不幸にして起こってしまったとき、その多くの場合において、新しい社会の実現を早めます。例えば、コロナ禍で、テレワークの普及は5年は早まったと言われます。そして、コロナ化が収束した後も、元には戻らないでしょう。
不況には効用があります。好況のときには売上を拡大することが最大の関心事になるので、多くの場合、経済を量的に拡大することが中心になりがちです。一方、質的な向上は不況の際に起こりがちです。
製造ラインがフル稼働してガンガン生産しているときに、ラインを止めて新しい機械に入れ替えようなんて、あまり考えないですよね。
経済成長とは、かなりアバウトに言えば
量(好況)→質(不況)→量(好況)→質(不況)→量(好況)
と、量質共に豊かさを増していくことであり、その方向は消費者が決めます。それを、政府が邪魔だてして、方向を歪めてはいけないのです。
資料編
最後に、おまけですが、内閣府の「新しい資本主義実現会議」の資料(「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」より)から興味深いと思ったものを抜粋します。
また、先日おこなわれた内閣府の「第17回新しい資本主義実現会議(R.5.4.25)」では、まさに「GX・DXなどを進めるための企業参入・退出の円滑化」が議題とされていました。その資料です。
その「新しい資本主義実現会議(R.5.4.25)」の各委員の主張から、今回の投稿に関連している内容を、いくつか紹介します。
我が国の持続的成長には、環境変化に合わせた産業構造の柔軟な変化が必要で、新陳代謝が活発に起こるダイナミックな経済は、生産性向上、賃金上昇につながる好循環をもたらす。
スタートアップに新規参入者が次々とチャレンジし、社会的起業も活発化する、そのためには退出時のコストを小さくして、失敗への許容度の高い環境にしていくことが必要で、そのことがスタートアップの参入コストを低下させる。
日本総合研究所 翁百合氏(議事要旨より)
新陳代謝の議論についてだが、インフレ基調、金利上昇基調、賃金上昇基調への転換はいや応なしに退出圧力を高める。
そうすると、そこで持続的な生産性向上と賃金上昇を目指すならば、それをとどめることよりも円滑な退出、人生の悲劇を生まない幸福な退出が可能な環境整備は極めて重要である。
株式会社経営共創基盤
IGPI グループ会長 冨山和彦氏(議事要旨より)
昔は企業の退出は異常事態で、経営者が非常に大きな責任を負わなければいけないという話だったと思うが、今や、この状況においては退出の決断というのはある意味で経営のステップアップだと。大きく経済をよくしていくために退出の円滑化をしっかり進めることが非常に大きなポイントになってきていると、今日示されたのではないか。
東京大学 柳川範之氏(議事要旨より)
経済学的に言えば、環境変化、構造変化が生じているときには、いわゆる人もカネもその変化に合わせて活動の場所を柔軟に変化させていく。そうしてこそ初めて生産性が上がるし、経済成長も実現する。
企業も同じであり、企業そのものの存続ではなくて、そこで働いていた従業員の方あるいは経営者の方が別のところに行って、より有意義な活動や生産ができるのであれば、そちらに移ってもらったほうがい。そのため、企業の参入・退出が円滑に行われるということは、従業員、経営者の方がより適材適所でしっかり動ける社会になるために重要である。
当然その裏側では、前回ありました円滑な労働移動もセットで考える必要があり、全体が動いていってこそ初めて資本もより有効に活用される。
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リフレ派の掲げるインフレターゲットは「冬をなくして永遠に春を続けよう」ってことなんですよね。
そんなことをすれば新しい命は生まれず生態系はゆっくり崩れていくのに、その日が暖かければいいと考える近視眼的な人々にはそれが理解できないんです。
日本の問題は不況(冬)ではなく、金融緩和と財政出動で30年も春を続けてしまっていること。
金融緩和を打ち切って不況を受け入れないと、自然な成長サイクルに戻ることはできません。
四季の例えは、ぴったりですね。
常夏の熱帯の国より、四季のある国のほうが経済発展しているのは「次の季節への備え」に知恵を絞ってきたことも大きいと思います。
好景気ばかりだと知恵を使うことがなくなり、過熱経済になるとマネーゲームに夢中になって「モノづくり」への興味さえ失うのが人間の性かと思います。
バブル後の企業の保護と雇用の維持を重視して来た経済政策はある程度理解できますが、結果的に経済の新陳代謝を鈍らせ、『失われた20年』となってしまったのは長すぎましたね。ようやく最近になってスタートアップ支援での新規参入や旧企業の円滑な退出の環境づくりが進み始めたのは世界的インフレなど経済危機がいいキッカケになったようでもありますね。
「世界的インフレなど経済危機がいいキッカケ」については、そのとおりで、良い予感がします。