「ゼロサム経済観」と「双方良し経済観」

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世の中には、経済はゼロサムだと考える人と、双方良し、つまり、Win-Winだと考える人がいます。

ゼロサム論者は「誰かの得は誰かの損」と考えるので、「株主や経営者は、労働者を搾取している」という被害妄想している人が多いです。

そもそも、契約とは双方が「自分に良い」と考えてするものなので、雇用契約が搾取という主張は理解できませんが。

正確に書くと、経済成長を否定するほどの確信的ゼロサム論者は少数です。ほとんどのゼロサム論者は、そのつもりはないのに、ゼロサムの病にかかっています。ただ、ここでは、一括りにして考えます。

ゼロサム経済観は、株式会社の否定

株式会社の存在意義?

ゼロサム論者の好きな主張は、こういう思考です。

従業員の利益の一部を、株主が掠め取っていく株式会社というシステムの存在意義がわからない。

こういうことは、シンプルに考えるとわかります。

「賃貸アパート会社」を例えに出します。


 株主=大家さん
 従業員=家賃集金のため雇われた集金係
 集金係 の不満「なんで、俺が汗水流して集めてきた家賃を、大家に渡さないといけないのか?」

ここまで読むと、ほとんどの人は「株主が利益の一部を掠め取っている」のではなく「株主が費用の一部として給料を出して従業員を雇っている」だけ、ということに気がつくと思います。

株主が仕事を作り出しているから、従業員は仕事を得て、その対価として給料をもらえるのです。そして、従業員がいるから株主も益があります。Win-Winなのです。

誰かが誰かの富を奪っているわけではありません。

「企業に搾取されている」と憤っているなら、さっさと独立して個人事業主になったらいいと思います。そうすれば、「搾取」されていたのかどうか、わかるはずです。

資本主義社会で豊かさを享受しておきながら資本主義を否定する人は、親の脛を齧りながら親を批判している厨二病です。別に株式会社でなくても経済活動はできるのだから、株式会社が嫌いな人は、労働者だけの協同組合を作って経済活動をされてはいかがですか(「幸福会ヤマギシ会」みたいに)?

実際には、賃貸マンション経営者も大変なのです。建築費のローンの銀行との折衝やら、入居者集めやら、維持管理やら。そういう苦労が想像できない集金係が「搾取だ搾取だ」と騒ぐのです。

今となっては、従業員の報酬が少なく思えるかもしれませんが、事業とは、立ち上げ期にはリターンが少なく、掛け算で増えていくものです。

投資を始める人のほとんどが、初期に「こんな効率の悪いことはやってられない」と脱落します。残存投資家を見て、労働と投資を比較するなら、「トップクラスの凄腕集金の達人」と比べるべきです。

リターンが高すぎる?

リターンだけで考えてみます。

東京証券取引所に上場する企業の平均的な配当利回りは、2%程度です。一方、それらの企業が銀行から借り入れている長期借入金の利回りも同程度か、やや低めです。優先劣後の関係も考えると、同じ水準と考えていいと思います。

もっと、具体的にみていけば、例えば、トヨタ自動車の無担保長期借入金(主に銀行から)の利息が、平均1.83%。2021年度末の株主への配当利回りが、3.3%です(他の企業より高めです)。

これ。お金を出してもらったら、それなりの対価を支払うことは経済社会の常識だと思いますが、「株主の搾取がー」と大騒ぎするほどのものでしょうか?銀行の借入金に対しては、「銀行利息がー」と、なぜ、騒がないのでしょうか?株主に対して怒りを露わにするなら、銀行の利息に対しても怒らなくては、筋が通りません。

経済への貢献?

もう一つ、似た主張ですが。

株の取引なんて、実体経済とはかけ離れた金融経済である。株の売買は、なんの経済効果も生み出さないマネーゲームではないか。

投資よりも消費の方が、経済効果がある。

たぶん、株主が何をしているか、見えないので、理解しにくいんだろうと思います。事実、株主は何もしていません。株を持っているだけです。でも、それが、とても大切なことなんです。

もう一つ。

百歩ゆずって、起業にあたっての初期投資は、良しとしよう。でも、そのあとの株の売買は、単なるマネーゲームではないか?。

株の所有者が、現金化したいと株を売りに出したとき、買い手がいなければ、売り手は現金を手に入れるために、その企業の工場や設備を売却し「企業を解散」して現金化しなければなりません。そうすれば、従業員は路頭に迷うことになります。そして、そんな面倒くさいことになるなら初期投資する人もいなくなります。繰り返しますが、株の買い手がいなければ、従業員は失業するのです・

株の所有をバトンタッチして、続けていることが企業を存続させているのです。

賃貸マンションの収益サイクル

株主がいなければ、収益を生み出すサイクル自体が生まれないし、維持できないのです。

掛け算のWin-Winゲームと、足し算+引き算のゼロサムゲーム

原始的な投資。つまり、「投資を募って、企画を実現し、成果を分配して終了」という形は非常にわかりやすいです。単式簿記で数字がわかるからです。足し算と引き算の世界です。でも、永続を目指す株式会社の場合は、掛け算と割り算が加わる世界です。複式簿記に足を踏み入れないと、本質を理解するのは難しいです。

だけど、複式簿記の実務を得意としていても、ゼロサムゲームでしか考えられない人も大勢いるし、複式簿記を知らなくても資本主義的に思考できる人も大勢います。

社会主義経済観は、ゼロサムゲームです。足し算と引き算ですね。一方、資本主義経済観は、Win-Winゲームです。掛け算と割り算の世界です。

ゼロサムで考える反グローバリスト

また、反グローバリズムを主張する人は、基本的にゼロサムゲーム脳です。経済は、Win-Winなのですから、お互いの国にとって利益があるグローバリズムが良いに決まっています(確かに短期的にはグローバル化は国内の経済格差を拡大します。でも、長期的には縮小します。)。

ゼロサムゲーム脳は、「誰かの得は誰かの損」なので、「自分が豊かでないのは誰かのせいだ」と陰謀論にはまりやすいです。

リターンとリスク

また、こういうことを言う人もいます。

リスクをとることだけなら、競馬競輪やパチンコと株式投資は同じではないか。

これは、経済観以前の問題です。

株式投資のリスクとは、期待するリターンに対するリスクです。リターンの変動リスクです。

一方、競馬競輪やパチンコのリターンは最初から胴元によって決まっています。競馬競輪は約75%、宝くじが約45%、パチンコが約85%。リターンに関する変動リスクはないのです。これらは、参加者から徴収したお金を、一部ピンハネして還元するだけです。それだけだと、損をすることが明らかで誰も参加しないので、射幸性を上げるため、還元額に差をつけているだけです。誰かが得をすれば誰かが損をして、胴元は必ず儲かる、そして、全体では同じ。つまり、競馬競輪やパチンコは、(胴元が儲かった分だけ参加者は損する)ゼロサムゲームです。

一方、株式投資は、Win-Winゲームです。消費者が豊かになることで、株主も豊かになります。経済が成長することで、全ての人に恩恵が行きます。

「俺には恩恵がない」と言う人。ネットに繋げて、PCかスマホを使って、この文章を読んでいる時点で、経済成長による豊かさを享受しています。

給料だけで生活している人は、足し算だけの世界なので、たしかに、掛け算の世界が理解しにくいです。住宅ローンなどの借金もすることがあるかもしれませんが、低金利時代で、複利も実感がありません。

だから「成長が先か?分配が先か?分配が成長を生む」みたいなことを真面目な顔で言い出す政治家も出てくるのです。でも、成長は掛け算、分配は足し算と引き算ですので、比較すること自体がナンセンスなのです。「成長が先か?分配が先か?」なんて言っている時点で、経済成長とは何かを理解していないのです。

もっているだけ、が大事

「物サービスを買うこと」が卵を買うことなら、「株を買う」は卵を産む親鳥を買って、卵を買う側ではなく売る側になることです。

このあたりのことは、以前の投稿も参考にしてください。

ここからは、長くなるので次回にします。経済は「掛け算」のWin-Winゲームであることについて書きます。

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