前回「グローバリズム」について書きましたので、今回は反グローバリズムについて書きます。
上の投稿を読んでいただきたいのですが、今回の投稿も含めて結論を書くと、
グローバリズムには、いろいろな弊害もあることは確かです。ただ、それは一つ一つ改善すればいいのであって、技術進化により距離が劇的に近づいた現実を考えると、反グローバリズムなんて選択肢は、ありえません。ただ、いろんな意見があることを知るのは大切なことなので、あちこちで繰り広げられる反グローバリズムの主張をまとめました。
反グローバリズムとは?
反グローバリズムというとき、幅が広く定義がはっきりしませんが、思い浮かぶのは次のとおり。
- 反・アメリカ文化経済帝国主義(アメリカの巨大化?)
- 反社会的・反グローバリズム(市場経済への嫌悪感?)
- 比較的まともな・反グローバリズム(アメリカの衰退?)
あと「インフレ期にはグローバリズム、デフレ期には反グローバリズム」とか言う人もいますが、今はインフレ期に突入しているので除外します。そもそも、そんなにコロコロ態度を変えることはできないので非現実的ですし、反グローバリズムにこだわり続けるためにインフレ転換の現実から目を背けるのは醜いです。
反・アメリカ文化経済帝国主義?
前にグローバリズムに伴う多様性喪失の懸念について書きました。
グローバリズムを「アメリカ型生活様式を、画一的に世界中に押し付けようとする文化帝国主義」と捉える観点になるかと思います。マクドナルド化とも言われます。いつでもどこでも同じ商品とサービスがマニュアル的なサービスとともに提供される、というイメージです。
でも、それに対しては、「日本では、独自メニューのテリヤキバーガーが人気だよね」という意見も出てきます。グローバルな文化が国境を越えて普及していくときに、その土地にあった多様な形で土着化していくという視点で、「グローカリゼーション」と呼ばれます。
反グローバリズムの定義がはっきりしませんが、「反・アメリカ文化経済帝国主義」というのは、「グローカリゼーション」の流れを考えると、ピンときません。主導権は、生産者ではなく生活者(消費者)にあるのではないでしょうか?
そもそも、「反グローバリズム!」と言えば威勢がいいですが、具体的にどういうことなのか、不明です。洋服を着ているのも、洋食を食べるのも、明治以来の日本人がグローバリゼーションを受け入れてきたからです。それをやめるのでしょうか?そういえば、明治時代に西洋化反対の人たちがいました。あの人たちの方が行動と言動に一貫性があったように思います。でも、ほぼ消滅しています。
反グローバリズムを叫ぶ者は、国産ガラケーを使っているのでしょうか?いや、ほとんどは、WindowsやMacOSのPC、あるいは iPhone やAndroidを介して、Twitterで「反グロ」を叫んでいるのです。国産SNS上で主張を展開するなら、まだ一貫性はありますが。
日本国内では、綿も絹も麻も、生産量はごくわずか(データ的にはゼロに限りなく近い)です。ポリなどの合成繊維も、原料は石油や天然ガスなど輸入に頼っています。服を着ないで裸で過ごせというのでしょうか?日本古来の綿を復活させたとしても、洋服にする糸にするのは無理。
反グローバリズムを叫ぶ者は、アジア新興国で作られたユニクロを着て、外国産牛肉を食し、ディズニーの映画を観ながら、「牛肉自由化、はけしからん。国産映像文化を守れ」とつぶやいています。
観念的で実践を伴っていない以上、このタイプは検討の余地がありません。観念で攘夷を叫んでいた幕末の志士も、実態を知るにつれ開国派になっていきました。
反・技術革新、反・企業タイプの「反グローバリズム」
グローバリゼーションは、技術革新に伴って進んできたと言えます。
グローバリゼーションによって中間層が没落した、というのも、欧米では移民の影響もありますが、日本の場合は、技術革新が主理由になっています。
グローバリゼーションの利点は生かしつつ、欠点を克服していくというのが、経済産業省の提言です。
このような地球規模の課題に対し、 政府や国際機関だけでは対処できず、経済活動に大きな影響を与える企業への期待が大きくなってきている。(略)
近年、国際社会では経済成長のあり方をめぐって単に生産性やコスト競争力のみを追求するのではなく、 環境負荷の低減や社会の包摂性を問う動きが活発化しており、(略)市場においても、従来の市場価値(価格)では捉えられない「価値」や「豊かさ」への関心が高まっている。
「令和3年版通商白書」経済産業省
ここで着目すべきは「政府の限界」を認めて、公的領域への「企業」参画の期待が謳われていることです。
【これまで】民間領域に、政府が介入しがち
【これから】公的領域にも、企業参画を期待
今の世界は、この方向に進んでいるのですが、企業が嫌いな勢力は、これが許せません。反グローバリズムと言いながら、反・企業的な主張を紛れ込ませています。
実際の活動
グローバリゼーションの原因は、技術進歩ですが、そこからもたらされるものは、これまで守ってきた生活の変化、既得権益の喪失です。その変化に、上手に乗ることができる者もいれば、既得権益を失うことに不安を感じる人もいます。後者の人たちの不安から来る抵抗が、このタイプの反グローバリズムです。既視感がありますね。19世紀のラッタイダ運動(機械打ち壊し運動)と同じです。以下、警察庁の資料から。
反グローバリズムを掲げる過激な勢力は、経済のグローバル化が貧富の差の 拡大や環境破壊といった社会問題を発生させているなどと主張して、サミット 等の国際会議の開催に際し、大規模な抗議集会やデモ等に取り組んでいる。近 年でも、平成29年(2017年)のG20ハンブルク・サミット(ドイツ)において、 一部の活動家らが店舗の破壊、車両の放火や道路封鎖等の違法行為を伴う過激 な抗議行動を行ったほか、治安部隊と衝突するなど暴徒化した。 一方、国内では、平成20年のG8北海道洞爺湖サミットに際し、国内の勢力 が海外の過激な勢力と連携しながら集会、デモに取り組み、その過程で違法行 為が発生したことから、G20大阪サミット等においても同様の事態の発生が懸念された。
G20大阪サミットに際しては、令和元年6月23日及び同月28日、大阪市内に おいて、海外の活動家を含む約200人(主催者発表)がG20大阪サミットに対 する抗議行動に取り組んだ。 また、関係閣僚会合に際しては、国内の勢力が財務大臣・中央銀行総裁会議 (福岡県)に対する抗議行動に取り組んだ。
「治安の回顧と展望(令和元年度)」警察庁
さすがに、技術革新には反対する「機械打ち壊し運動」は賛同できません。
過激派は、北海道洞爺湖サミットを「帝国主義・超大国間の支配と利害調整を第一にした陰謀会議」等とみなし、機関紙等でその「粉砕・爆砕」を主張し、反対闘争に取り組む姿勢を明らかにしました。
近年の過激派は、将来の共産主義革命に備えるため組織の維持・拡大をねらい、警戒心を持たれないように暴力性を隠して反グローバリズム運動の主要テーマである、貧困問題や環境問題に取り組んでいます。さらにその過程で、反グローバリズムを掲げる団体との連携を強め、これらの団体の組織運営に浸透・介入し、主導する動きを見せています。
「平成19年の警備情勢を顧みて」警察庁
「反グローバリズム運動」は暴力性を隠す隠れ蓑と書いています。共産党系の人たちが、反グローバリズムを全面に出すことが多いです。
反社会的な反グローバリストの話で、反グローバリスト一般のことではありません。
グローバリズム=「一定の条件でしか機能しない理想主義」論
以上とは別に、もう一つ、比較的にまともな、反グローバリズムと呼ばれる主張があります。中野剛志氏に代表される主張です。(以下「まともな反グローバリズム」と書きます)
それは「技術進歩は善」と受け入れつつ、グローバリズム=「一定の条件でしか機能しない理想主義」としたものです。グローバリズムはアメリカの覇権の上に成り立っているものであり、アメリカの衰退と共に衰退するので、それに備えなければならない、というようなものです。
アメリカがグローバル覇権国家でなくなりつつある現代において、グローバル化が終焉を迎えるのは当然の帰結、それに備えるべき。という論です。
国際貿易のルール、国際通貨、国際的な安全といった環境も「公共財」であり、個々の国家は、その維持に必要なコストを分担することなく、その恩恵を享受できるわけです。ところが、国内社会における「公共財」の供給には強制力をもつ政府が必要であるのと同じように、国際社会において「国際公共財」を供給するためには、本来は強制力をもつ「世界政府」が必要となるはずですが、現実には「世界政府」など存在しません。
そこで、他国に対して強制力を有する覇権国家が必要になるわけです。覇権国のリーダーシップがなければ、国際的な「公共財」の供給が不足し、国際市場経済の秩序を維持できないのです。つまり、自由主義経済による国際秩序の基礎には、地政学的な下部構造があるということ。言い換えれば、グローバル化は自然現象などではなく、グローバル覇権国家が自由主義的な経済秩序を構築することを志向した結果なのだということです。
「「コロナ禍」でさらに緊張が高まる、日本を取り巻く国際政治の“残酷な真実”」中野剛志
その背景には、アメリカ、日本の地位低下と中国の台頭があります。下記の図は、WTO の報告書「Global Value Chain Development Report 2019」で示された、世界の財・サービス全体の付加価値貿易ネットワークです。日本は 2000 年に世界の付加価値貿易ネットワークのハブの一角でした。でも、2017 年には日本はハブではなく、中国の周辺になってしまっています。
たしかに、まずいです。
でも、ここで、アメリカが「覇権国家」でなくなった世界において「国際協調」で代用できないのか?という疑問が起こります。
それに対して、「まともな反グローバリズム」は、国際協調など「理想主義に過ぎる」と言います。そして、食料の安全保障、エネルギーの安全保障、そして半導体。自給体制を構築するべきである、と主張します。
一方、グローバリズム派は、自給体制など非現実的で、できるわけない。「理想主義に過ぎる」と主張します。
筆者は、どちらかというとグローバリズム派のほうが正しいように思えます。反グローバリズムを主張している人たちは、利権を守るために強弁しているだけのようにしか思えないです。
現実の世界では、中国の脅威が増して、10年前のようなタイプのグローバリズムを主張する人はいません。グローバリズムは、反グローバリズムの持つ懸念に答えてアップグレードし続けています。
「通商白書2021」から、
「世界政府的」グローバリズムなんて観念の世界にしか存在していません。現実には、実際のグローバリゼーションの進展に合わせてアップグレードし続けているだけです。
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