「ゾンビ企業を保護する」政策が、経済成長を妨害する

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まとめ 

  1. 次々に失業と雇用を生み出すのが「経済成長」。失業の痛みを和らげるために経済成長にブレーキをかけるのが「ゾンビ企業を保護する」政策。
  2. 景気対策として実施されることが多い「ゾンビ企業を保護する」は、デメリットだらけ。
  3. 人手不足が深刻化する日本では、本格的な失業対策が必要とは思えない。

「ゾンビ企業」とは「本来であれば経営破綻、あるいは事業継続が難しい状態であるにもかかわらず、金融支援により延命している企業」のことです。最初に、この言葉を目にしたときは「エゲツない言葉だなあ」と感じました。

 しかし、
「企業は、人が生産活動に使う道具に過ぎない」こと、
「国が守らなければならないのは、人であって企業ではないこと」から

「そこに関わっている人の可能性まで奪っているのだ」と考えるに至り、今では、この言葉は「言い得て妙」と思っています。

ゾンビ企業とは

財務面でのゾンビ企業

(株)東京商工リサーチ(TSR)によると、

国際決済銀行(BIS)は、設立10年超で3年以上にわたってインタレスト・カバレッジ・レシオ(利払いに対する営業利益+受取利息・配当金の比率)が1を下回る企業を、「ゾンビ企業」と定義している。

ゾンビ企業って言うな! ~ 「推定30万社」の見直しと企業支援の次の一手 ~

ゾンビ企業が一段と増加している。
2022年11月時点で判明している2021年度(2021年4月期~2022年3月期)の「ゾンビ企業」率は、前年度比1.5ポイント増の12.9%に上昇し、想定される全国の「ゾンビ企業」数は約18.8万社に達した。比率、社数ともに、前年度から一段の増加となっている。

ゾンビ企業」の現状分析(2022年11月末時点の最新動向)

だそうです。

現在の超低金利が終わり、金利が正常化して来れば、利払いに苦しむゾンビ企業は激増することになりそうですね。

真のゾンビ企業

ただ、このように財務面のみで判断されるのは、不十分なんじゃないかと思います。

まず、「利払い」を基準としていますが、昔から長期低迷している企業、事業者は、土地持ちだったり、無借金の企業も多いんじゃないかと思います。

さらに、もっとも重要だと思うのが、消費者から相手にされなくても、政治家や役所に気に入られている企業は、財務的には優良企業であることが多いのです。

そこで、以下の投稿では、財務的な優劣に関わらず、社会的な存在意義がないのに、政治家や役所に癒着し、エコ贔屓受託したり補助助成をもらったりしていている「税金チューチュー企業」も含めて「ゾンビ企業」と呼ぶことにします。

簡単にいうと、費やした資源を上回って「国民に豊かにしている」かどうかが基準です。ですから、公共工事のように、役所からの発注に依存していても、社会的意義のある事業に携わっている企業は、この対象ではありません。

エコ贔屓受託をうけている事業も、役所的には「社会的意義がある」とされていますから、外見的には判断が難しいです。

そのなかでも、特に多いのが、かつては社会的に重要であった産業で、多くの雇用を抱えているものの、時代が進むにつれて産業規模が縮小し、雇用がダブついてる産業や企業です。

政治家は、これらの「弱い産業」を守る政策が大好きです。

選挙の票になりますから。

政府にとって、困っている国民、弱い国民を助けるのは、大切なことです。でも、助けるべきは、弱い国民であって、弱い産業ではありません

「ゾンビ企業を保護する」政策が正当性を主張できるのは、そこで勤労している国民が失業すれば彼らの生活が危うくなるので、国民生活を守るために雇用を守らなければならない(と考えている)からです。

逆に言えば、失業しても国民生活が守られるようであれば、景気対策は正当性がなくなります。

弱い国民を守り、豊かにするには、日本の国全体の経済成長が必要です。
そこで、経済成長と「ゾンビ企業を保護する」政策との関係について考えます。
そして、この政策に、どのような効果があるのか、考えます。

ゾンビ企業を守る政策と、経済成長

空想の話ですが、ある漁港では、オンボロ漁船に乗って、漁師さんたちが漁をしています。オンボロ漁船なので装備も古く、漁獲高も貧弱なものです。嵐になれば、「オンボロ漁船でも失えば、漁ができなくなる。」と、浸水を一生懸命に掻き出しています。

例えるなら、オンボロ漁船にしがみついての「浸水の掻き出し」や「修理」が、景気対策です。

一方、オンボロ漁船から、最新テクノロジー漁船に乗り換えるという選択肢もあります。乗り換えにあたって、ドブンと海に落ちるリスクもあります。それが経済成長です。

経済成長には、2段階あります。

  1. 古い産業が、アップデートすること(マイナーアップデート)。
  2. 古い産業が衰退して新しい産業が興ること(メジャーアップデート)。

産業のマイナーアップデート

私たち国民が日々、仕事をしている中でも、いろんな工夫を重ねることで、これまでは3時間かかっていた作業が2時間で出来るようになったりします。1時間で2つ作っていた成果物が、3つ作ることができるようになるわけです。こんな小さいことの積み重ねが経済成長になります。

ただ、見方を変えると、3人を必要としていたところが、2人ですむようになります。1人余ってしまうのです。失業発生要因です。

例えば、お米を作るお百姓さんを考えてみます。

田んぼ10a当たりに必要な年間労働時間は、1955年には190.4時間だったのが、2020年には21.6時間に激減し

10アール当たり収量(kg)は、1903年の249kg、1960年の401kgから2020年には531kgに増えています。

9人でしていた仕事が、1人で出来るようになり(かつ収穫も増え)、8人が余ってしまったのです。

統計を違うデータから取ったので、年度が揃っていません(ごめんなさい)。

ちなみに、米離れのため、米の生産量は1960年の1253万トンから2021年の756万トンへ40%減っていますが、米作農家の数は、1965年の488万戸から2020年には69万戸へ、85%も減少しています。

産業のメジャーアップデート

行燈(あんどん)が石油ランプを経てLED照明になったり、
飛脚が郵便、電話、インターネットに進化したり、
人力車がタクシーになったり、
現代、私たちが享受している豊かさは、新陳代謝の繰り返しによる、いろんな産業の栄枯盛衰の結果なのです。

そして、古い産業が衰退する過程で、失業者が生まれます。ガラケーがスマホに進化する程度のマイナーチェンジなら、企業も労働者も技術をアップデートすることで対応できそうです。

しかし、人力者がタクシーに置き換わるぐらいのメジャーチェンジであれば、対応できる企業や労働者は、ほんの一握りでしょう。

人力車の人夫がタクシー運転手に転職できればいいですが、自慢の健脚が価値を失い、仕事を無くしたケースも多かったのです。経済成長には、失業の痛みが伴うのです。

私たちが、LED照明やインターネットやタクシーを利用して豊かさを実感しているのは、
行燈(あんどん)を作っていたり、飛脚だったり、人力車を作ったり動かしたりしていた人たちが仕事を失ったからです。

もし、現代になっても、行燈(あんどん)を作っていたり、飛脚だったり、人力車を作ったり動かしたりしていた人たちが、昔のように仕事をしていたら、社会は昔のままなのです。

放っておけば衰退する業界、企業を、政治的に維持し続けようというのは、社会が自然に進化するのを強引に止めるということです。

私たちの殆どが、100年前には存在しなかった職業についているのにね。

中世では、親子代々職業を世襲していて、
近世では、世代交代の際に職業を変えていたりした、
そのサイクルがどんどん早まってきていて、政治も私たちの意識も追いついていないのだと思います。

経済成長がなければ

経済成長は、失業を生み出し、雇用を生み出します。失業は、ほとんどの場合、辛いものです。

実際には、当然ですが、企業も手をこまねいて衰退を受け入れているわけではありません。

多くの企業は、常に旧産業から新産業へ、若返りを図ろうとします。例えば、日本一の企業であるトヨタは、もとは織機製造の企業でしたが、自動車製造へ発展しています。

企業が新業態へ乗り出すのは、労働者が転職するのと同じぐらい不安定リスクがあることです。企業が、第二創業、第三創業と重ね、常に若返りを図るので、多くの従業員は失業せずに済んでいます。

とりあえず失業の痛みを避けたければ、簡単です。規制がんじがらめにして、経済成長を放棄し、新しい産業を全く興こさないようにすればいいのです。そうすれば、同じ産業、同じ企業が同じ規模のままで維持され続けるだけなので、景気循環や大量失業のようなことは起こりにくいです。ただ、静かにジリ貧となっていきます。その間、外国は経済成長を続けていきますので、相対的に、どんどん衰弱して貧しくなっていきます。

つまり、痛みが伴うのが経済成長、痛みを和らげるために経済成長にブレーキをかけるのが「ゾンビ企業を保護する」政策です。

実際はもっと複雑ですが。

ゾンビ企業のために、常に景気対策

さて、政府は景気が悪くなると、すぐ「景気対策だ」と言い出します。

でも、実際には景気が良い業界もあれば悪い業界もあります。例えば、円高不況になれば、円安メリット企業には好況です。ですから、常にどこかの業界は、不況なのです。ですから、役所は年中、景気対策をしています。

ちなみに、日銀短観サイトで、直近の景況感を確認したところ、最好況は「情報サービス」で+28、最不況は「宿泊・飲食サービス」が△26でした。50pt以上も差がありました。

政府がお金をばら撒いたところで、現実は、好況業種が更に好況になるだけではないかと思います。

もし、不況業種に限定してお金をばら撒いたとしても、その業種の中で、好況と不況に別れるだけです。

政府のGoToキャンペーンの結果、「補助がもらえるなら、泊まりたかったホテルに泊まろう」と、人気のある旅館やホテルに、更に人気が集中する結果となりました。一方、人気のない旅館やホテルは、閑散としたままです。

そして、衰退産業は、常に不況なので、常時、景気対策をしてもらえます。でも、そのように、弱い産業を守ることは、弱い国民を守ることになっているのでしょうか?

景気対策の特徴を書きます。

市場を歪める

こんな例えから。

あるスポーツの試合中に、試合に負けている相手チームが突然、審判(政府)に、「自分たちにボーナスポイントをくださいな」と詰め寄りはじめました。

そして、あろうことか、審判(政府)は「負けているのは可哀想だから」と、相手方に得点を与えてしまったのです。

これでは、公正な試合とは言えません。こちらも、審判(政府)に擦り寄って得点をもらうしかありません。正々堂々と実力で勝負するのではなく、いかに審判(政府)に多く擦り寄るかが、勝敗の分かれ目となり、試合自体が面白くなくなってしまいました。

役所からの補助助成は、市場での公正な競争を歪める(政府からの)ボーナスポイントです。

市場での競争の勝者は、消費者が決めるべきであって、役所が決めるものではありません。

どのように不況で痛手を被っているかの判定は、どのようにしても恣意的になるので(というか出来レース)、政治家に近い政治強者ほど、景気対策予算で恩恵を得ます。

労働力は有限です。役所が衰退産業にバラ撒けばバラ撒くほど、消費者が求める物サービスの供給能力の成長が押さえつけられます

モラルハザードが起こる

景気循環の一環である景気後退(不況)は、新陳代謝を促します。健全ではない企業や事業者を退場させるのです。また、健全経営はしていても社会的ニーズを失った企業も同様です。

1990年代のバブル崩壊のときも、苦境に陥ったのは、バブルに踊って本業以外に無茶に手を出した企業が多かったのです。バブルに関わらず、健全な経営を続けていた企業は、その影響を受けることが少なかったのです。

しかし、そんな経営姿勢に問題がある企業や事業者まで救済するのは、モラルハザードにならないでしょうか。救済された企業は、「過剰投資や過剰債務を抱えても、最後は政府が助けてくれる」と悪い見本となり、次の経済危機を引き起こす要因になるかもしれません。

不況は辛いことですが、意味があるのです。

質が低い政策が多い

景気対策は、補正予算として組まれることが多いですが、それらの多くは、当初予算で却下されたものが復活してきたものです。そして、補正予算は、内容よりも金額が優先されがちです。

地域創生予算とか、男女共同参画予算と同じように、抽象的なため、「これって景気対策なの?」と思うようなものが多く紛れ込んでいます。

本当に困った人が助けられるのは、最後

景気対策によって、まず潤うのは、十分に貯蓄があり生活に困窮しているわけではない経営者や正規従業員です。彼らが安心を得た後で、下請けなど弱い立場の者におこぼれが回ってきます。最後に、本当に困っている失業者が、やっと雇用されます。最初に用意された景気対策予算のうち失業者のために使われるのは、ほんの一部です。

大規模な金融危機などが起こった場合に、公的資金で経営危機に陥った金融機関や大企業を救済する条件として徹底的な合理化や人員整理が条件とされます。弱い立場の者が最初に離職を迫られ、逆に失業者を生み出します

「弱い国民」を切り捨てることで「弱くなった産業や企業」を守っています。

経済成長を妨げる

同じようなことになりますが、ゾンビ企業救済のような財政支出の最大の弊害は、やはり「経済成長を妨げる」です。時代遅れの業界や、ゾンビ企業を温存すれば、消費者から必要とされていない生産に資源(特に労働力)が奪われ、それだけ、新しい産業や元気な企業の登場を妨げます

このような財政支出は多ければ多いほど、経済成長にブレーキがかかります。

これからの日本は、人手不足である

そもそも、衰退業界やゾンビ企業を守る政策が正当性を持つのは、そこで勤労している国民が失業すれば彼らの生活が危うくなるので、国民生活を守るために雇用を守らなければならないと考えているからでした。失業者が続出する恐れ。でも、その日本社会の現状認識は間違っていませんか?

大量失業者が発生するとしたら、経済成長を怠った結果、弱体化した近未来日本においてです。

今の日本は、そして、これからの日本は、ほぼ全ての規模の、全ての業種において、人手不足です。

中小企業においては後継者不足による黒字廃業が高水準で続いています。農業も同様です。

労働力不足を補うために外国人労働者が増え続けており、移民政策が議論のテーブルに上がっています。

社会的に必要とされていない無駄な産業、企業に貴重な労働力をとどめおくことを政策としていいものでしょうか。

この町には、美味いレストランと、不味い飯屋があります。
美味いレストランは店員が足りないので、いつも客を長時間、待たせています。常時、店員募集をしているのですが、人手不足の町では、職探しをしている人は、ほとんどいません。

一方、不味い飯屋は、客が来ないので、店員は暇にしています。
不味い飯屋の店長は主張します。
「客が来ないのは、住民にお金が足りないからだ。政府はお金を配れ。そうでないと、店員は失業してしまうぞ!」

いやいや、お金を配っても、客は「もっと、値段の張る料理を注文しようかな」とするだけです。あるいは、美味いレストランに行く回数を増やかもしれません。そうすれば、美味いレストランは、ますます忙しくなります。
店員は、自分がお客さんから必要とされる店で、働いたほうがいいのではないでしょうか?

弱い産業ではなく、弱い国民を、直接に助けたらいいのでは?

ただ、どんな人手不足な社会であっても、マッチングの過程でミスマッチング、失業が発生しますし、失業は辛いものです。「(経済成長という)全体の利益のために、個人は耐えろ」なんてことが、あっていいはずはありません。

だからこそ、弱い産業ではなく、失業者を直接に助ける政策を充実するべきではないでしょうか?

よく言われるのが、「大量の失業者が出たときの政府支出に比べれば、景気対策で産業や企業を支援したほうが安くて済む」と言うものです。そうでしょうか。ゾンビ企業への支援は底なし沼です。
また、一時的に苦境に陥っている企業と、ゾンビ企業の区別を見極めて、前者を助けるのは、銀行の仕事です。これを政府、政治家、役所がすると、大甘基準となり、両者がごちゃ混ぜになってしまいます。

政府がするべきは「解雇規制ガチガチの何としても失業者を出さない政策」を「失業者の生活を守り、雇用が流動化していて、失業者が新しい仕事に就きやすい環境」に方向転換することではないでしょうか。

政府が考える「弱い国民」と、現実世界の「合理的な国民」

政府が机上で考える「弱い国民」と、現実世界で逞しく生きている「合理的に行動する国民」のギャップについて、こんな話題があります。

雇用調整助成金というのがあります。この助成金は、事業者が労働者に休業手当を支払うにあたって、事業者に助成するもので、平時から実施されていますが、コロナ禍にあたって拡充され、令和2年度から現在まで、5兆7千億円ほど助成されています。

これについて、厚労省が実施する「アフターコロナ期の産業別雇用課題に関するプロジェクトチーム」の議事録で、次のような発言がありました。

 先日、とある県で事業者さんのお話を伺ったときに、その事業者さんが飲食業だったのですが、こういう例がありました。
 長いことお客さんが減って、お酒を出すお店だったので、もう今は開けられないけれども、コロナが落ち着いたらまたお店を開けようと思って、何か月も雇調金をもらって雇っているアルバイトの方や従業員の方をキープしてきたと。それが長くなって、ずっと休業手当だけをだらだら払って1日も出勤させない状況になっていた。あるとき、去年の暮れぐらいは少し感染動向もよくなったところですけれども、いざお店を開けようとして、じゃあ戻ってきてくださいと言ったら、それらのアルバイトさんたち、または正規の従業員の方たちが、ずっと休業していた間、よその違う産業の事業所でアルバイトをされていて、飲食業よりもそっちのほうが比較的自分に合っていると思うので、もう休業手当をもらえないのだったらやめて転職しますと言って辞めてしまった人がたくさん出たという話もございました。

「アフターコロナ期の産業別雇用課題に関するプロジェクトチーム(第1回)議事録」厚生労働省

最初に読んだとき、筆者は、二重受給っぽい印象で、モヤモヤするなあと感じました。でも、よくよく考えると、「休業手当を貰って、ぶらぶらしている」より「よそで働いて、社会に物サービスを供給していた」ことは、社会にとって良いことですし、その結果、より自分に合った仕事を見つけたことも、良いことなのです。

モヤモヤを感じるとしたら、それは政府の政策が、その「良いこと」を促進するものにはなっていなかったことです。

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