豊かな「内需大国」になれるのは「外需大国」だけ

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反グローバリズムを唱える人が、こんなことを言っています。

過去から、他国と比べて、日本は「内需大国」という構造なので、外需依存ではなく、内需大国としての成長を取り戻せ

内需を豊かにしたいという動機は共感します。ただ、主張自体は、ツッコミどころが満載です。

  1. これまでの日本は、人口が増え続けてきたが、今からは人口減少に向かっている。30年前は、世界全体のGDPの20%近くを占めていたが、今では6%程度である。過去のことはともかく、内需は減少していくなかで、内需重視路線でいいのか?
  2. そもそも、内需とか、外需とか、区別することにどういう意味があるのか?

1は別の機会に。

今回は2の「内需と外需を区別する必要があるのか?」を、消費者発想で取り上げます。

欲しいものが欲しい、それだけ

「内需だ、外需だ」とか言っても、押し売りするわけじゃないんだから、決めるのは生活者(消費者)です。

例えば、丸亀製麺も、20年前に加古川に1号店を出したときには、まさか海外にこれだけ進出するなんて思ってもみなかったでしょう。外国の人が支持すれば、うどん産業すら、外需です。

国がどうこう計画するのではなく、民間が自由に判断し、行動します。

「内需大国を目指せ」という人でも、外国の人が

「日本のカワイイが大好き!」
「日本の家電製品は最高!」

とか言って「売ってください」と言ってきたら、売ってあげますよね?輸出しますよね。

日本製品が優秀で魅力的であれば、外国人は「日本の物が欲しい」と殺到し、自然と輸出(外需)が増えます。そのような魅力的な日本製品は、日本人も欲しがります。

逆に、日本製品が外国製品に比べて、かなり見劣りがするものであれば、外国人は「日本製品は要らない」と輸出(外需)は減少します。そのときは、日本人も「日本製品じゃなくて、外国製品が欲しい」と輸入を選び、内需も外需も減少します。

外国人が欲しがるものは日本人も欲しがり、外需が増えれば内需も増えます(もちろん、国民性の好みの違いがあるので例外はあります)。

外国人が要らないものは日本人も要りません。日本人は「外国製品のほうがいい」と輸入(マイナスの外需)したがるけど、そのための購買力は輸出(プラスの外需)によってもたらされるので、輸入もできず、単に貧しくなるだけです。外需が減れば内需も減ります。

外需大国になって初めて、内需大国になります。内需の割合が増える(外需が減っていく)とは、単に貧しくなっていくという意味ではないのでしょうか。

いろんなケースを想定する

GDP=外需(輸出 – 輸入)+ 内需

いろんなケースに分けて考えてみます。

前提条件

話を単純にするため「貿易収支」に限定し「サービス収支」その他は無視します(考え方は同じだと思いますので)。

それと、説明の中で「世界最高水準」という表現を使いますが、品質性能だけのことではありません。価格も重要です。人によって、品質重視、価格重視、両方を反映したコスパ重視、実際には「世界最高水準」の物差しは一つではないはずです。ただ、できるだけ話を単純にして、進めます。

また、他国に輸出するには、法律や商慣行の壁も含めて、輸送費、関税等、コスト増になります。ただ、ルーチン化してくれば、障壁は小さくなってきますので、無視して進めます。

それと、日本と外国、それぞれの景気の山と谷はずれているので、内需と外需のバランスは景気循環で変化します。ただ、長期では平準化されるので省略します。

そして、「比較優位」の原則については、ロボットが人に代わって労働力になりうる(労働力無限大)として、絶対優位として話を進めます。

以上、これは考え方の話なので、話を単純化するために、端折りますが、細かいところを現実に合わせても、大きくは変わらないと思います。。

内需100%とは、国内生産品の消費先が、国内100%という意味で、
自給率100%とは、国内消費の生産元が、国内100%という意味です。
つまり、内需100%と自給率100%の両方を備えたとき、経済鎖国状態になります。

日本の全ての物が、世界最高水準の場合

日本の全ての物が、世界最高水準の場合、日本人は外国製品には見向きもせずに、日本製品を100%、買うでしょう。自給率100%です。でも、このときは、日本の人口の何倍、何十倍の世界中の人たちが「日本の製品が欲しい」と殺到します。

その外需は内需の数倍、数十倍なので外需大国になります。でも、実際には、それだけ生産できないので、供給力増強のための投資で内需が拡大します。好循環スパイラルです。

日本の全ての物が、世界最高水準から劣る場合

日本の全ての物が、世界最高水準から劣る場合には、世界の人たちは、日本製品に見向きもしません。それどころか、日本人も「日本製品なんか欲しくない。外国製品が欲しい」と、外国製品を買おうとします。

けれども、外国製品を買うためには、外国の貨幣が必要です。外国の貨幣を手に入れるためには日本製品を外国に輸出することが必要です。ですから、外国の貨幣を手に入れることはできません。

いくら、「国債はいくらでも発行して、紙幣はバンバン刷ることができる」と言ったところで、外国の人たちは日本の貨幣なんて欲しくないのです。

MMTの租税貨幣論的には、外国人は日本国に税金を納めるわけではないので。輸入するためには、輸出が必要なのです(MMTでは、「輸出は、輸入という便益を得る費用」だと説明しています)

その結果、日本人は外国製品を買うことができず、不平不満たらたらで、日本製品を買うことになります。つまり、ここでも、自給率100%が実現するのです。外国人が買ってくれないので、内需100%です。

自給率100%というだけでは、豊かな自給率100%と貧しい結果の100%がありえます。しかし、内需100%は貧しい場合のみです。

ここで気がつくと思いますが、内需100%では必然的に自給率100%となり、必ず生活水準が落ちるのです。内需100%を目指すだけなら、縄文時代に戻れば実現できます。今でも、地球上の辺鄙なところで、現代文明の恩恵も受けず自給自足経済をしている民族がいくつもあります。

日本の製品が最高、日本以外の製品が最高、が混在している場合

実際の世界は、上に書いたような両極端の場合なんて存在しません。日本の製品が最高の場合、日本以外の製品が最高の場合、が混在します。このとき、日本の人も、世界の人も、どこの国のものかは関係なく世界最高の物を購入します(実際には他の要因もあるのですが単純化するために省略します)。皆が最も、豊かになります。

日本人には好まれても、外国人にはさっぱりというものも、あります。また、国内で売るより海外で売るほうが、何かとコストがかかるので競争力が変わってきます。ですから、理屈どおりスッキリとはいかないのですが、時代とともに外国との距離(輸送、等々)がどんどん近くなってきています。

また、「世界最高の製品なんて作れない」という国が出てくるかもしれません。でも、先に書いたように、世界最高とは、品質だけではなく価格も含めたコスパだとすれば、為替が働いて、調整してくれるんです。

為替については、ここで書こうとすると、説明が長くなりますし、本論と関連が低そうなので、ムギタローさんの動画を紹介します。

この動画の3分19秒あたりで、「多額のお金を持っていて生産をしていない島」が、でてきます。「お金だけ持っていたって相手にされないよ」という説明ですが、

一部の人が喧伝している「国債をバンバン刷ったら豊かになれる」を明確に否定しています。「外国人が欲しがるような物を生産できなければ、豊かになれないよ」との強烈パンチです。

ただ、これは自由貿易が前提の話で、保護貿易については後半で書きます。その前に

日本の貿易の歴史

ここで、日本の歴史を振り返ってみます。

江戸時代の日本は、貿易を細々としながら、国を閉ざしていました。文化的には、欧米と比べても高い水準でしたが、物質の豊かさは産業革命を経た欧米より遅れていました。

そして、幕末に開国、明治に入って外国との交流を増やしていきます。それとともに、日本人の生活水準は、どんどんと上がっていきました。日本人の生活水準向上は、外国からの進んだ技術を導入、進んだ製品を輸入することによって急速に実現されました(いわゆる文明開花)。

次の表は、輸入を1とした時に、輸出が何倍になるかを示した年表です。

明治からの日本、輸出入のグラフ
日本銀行百年史(資料編)国際収支表(IMF方式)p.342-345、財務省貿易統計


1世紀近く、一般的に「舶来品は良いもの」「国産品は質が低いもの」でした。そのため、第一次世界大戦で欧州での生産が激減した一時期を除いては、第二次世界大戦後しばらく経つまでは、ほとんど輸入超過です。日本人は外国製品を欲しがったほど、外国人は日本製品に魅力を感じなかったのです。

じゃあ、どうやって、輸入のためのお金を得たのでしょうか?

物を輸出できない国は、人を輸出するのです(出稼ぎ)。

現在のフィリピンがそうです。輸出する商品に乏しいので、大幅な輸入超過になっています。そして、フィリピンの人口は約1億人ですが、その1割が海外に移民(出稼ぎ等)しています。日本にも、フィリピンからの出稼ぎの人が多いです。

もっとも、フィリピンは潜在能力の高い国だと思っています。

でも、戦前の日本は貧しくて、日本人はフィリピン(当時はアメリカ領)に出稼ぎに行っていたのです。アメリカや南米にも。

さて、昭和の高度成長期になり、日本人の努力の甲斐あって、輸出が輸入を上回るようになり、昭和40年代頃から「Made in Japan」が、高品質の代名詞となります。この頃、日本の経済は絶好調でした。

昭和の終わり頃、50年代後半から60年代にかけて、アメリカの映画を観ていると、アメリカの一般家庭には日本製品があふれています。そして、現代のアメリカ映画に、日本製品が登場することは稀です。これが、全てを物語っています。

「現在の日本経済の低迷は、政府の緊縮財政のせいだ」そのとおりだと思います。けれど、緊縮財政が積極財政に変わるぐらいで、日本が豊かさを取り戻すなんて、ありえません。最大の問題はそこじゃなくて、日本の、ものづくりが低迷しているところではないでしょうか。

昭和の終わりの頃、アメリカは日本に対して「経済敗戦」したと言われ、日本企業が世界を闊歩していました。しかし、今や、日本企業は、GAFA、さらにマイクロソフト、テスラなどの足元にも及びません。世界ランキング10位以内のアスリートが大勢いれば金メダルを狙えます。でも、世界で相手にされない企業ばかりの現状で金メダルは遠い夢です。

日本が貧しくなっていった真の理由はそこであり、貨幣を刷りまくろうが、財政支出しまくろうが、根本的な解決にはなりません。

保護貿易か、自由貿易か

話は戻しますが、

書いてきたように、生活者(消費者)の物質的豊かさを最高レベルにするためには、日本の全ての物が世界最高水準でない以上、世界最高水準を世界中から集めるために、世界と自由に貿易をすることが、最善であることは疑いがないと思います。

でも、生活者(消費者)が物を購入するお金は、どこから手に入るのでしょう?そう、生活者(消費者)は、生産者でもあります。輸出するから、輸入するお金(外国の貨幣)が手に入ります。では、輸出するものがなかったら、どうしたらいいでしょう?

それは、上に書いたような現在のフィリピンの状態です。物を輸出できない国は、人を輸出します(出稼ぎ)。家族が離れ離れ、そんなことを、いつまでも続けていられません。そこで、でてくるのが、保護貿易という政策です。自国の製造業を育てるために、外国からの輸入品に関税をかけて価格を高くし、「国内製品を購入するほうがお得だよ」と国民を誘導するのです。

でも、これは産業が育つまでの猶予期間です。

保護貿易とは、子供が大人と将棋をするときの飛車角落ちのこと

「囚人のジレンマ」理論的に、図示してみました。ただ、お互いが何度でも話し合えるという条件です。

保護貿易と自由貿易のシナリオ

もし、自国だけが国益優先で保護貿易を選び、他国が国際協調の自由貿易を選んでくれたら、短期的な国益だけを見れば、保護主義者の希望どおり生産者にとって最益です。でも、そのために生じる関税は生活者が払っています(つまり、豊かな内需に遠いです)。

そして、こういう「お子ちゃま待遇」が許されるのは、後進国だけです(昭和高度成長期の日本とか)。

保護貿易とは、お子ちゃまが大人と将棋をするときの「飛車角落ち」のようなものです。「飛車角落ちで将棋をしてあげるから、早く将棋が上手になりなさい」という大人からの配慮です。もし、将棋を指す両方が、飛車角落ちしたら、意味がないですよね。駒落ちの応酬が続き、金銀落ち、桂馬、香車を落とし、最後には駒がなくなって将棋が成立しなくなります。こうして、誰も将棋をしなくなります。

将棋が普及するためには、お子ちゃまには飛車角落ちで勝負して上達してもらうことが肝要です。

保護貿易とは、後進国が先進国に追いつくまでの「飛車角落ち」なのです。

「日本は、昭和の高度成長期には保護貿易だった」という主張がありますが、まだまだ貧しかった当時と世界最大の債権国である現代とでは、置かれた立場が違い過ぎます。

世界全体の経済が拡大することは自国にも有利ですので、新興国の産業振興のためにも、先進国は(昭和高度成長期の日本が受けられたように、多少の保護主義を認めるような。)一定の譲歩が必要です。

でも、先進国の保護貿易は、他国の保護貿易を呼び、保護貿易の応酬となります。つまり、「国益」は大切ですが「世界全体の利益」を軽視すると、国益を失うことになります。

先進国になった日本に、上図の最益シナリオはあり得ません。第二次世界大戦前の悪夢を繰り返します。

世界に出ていくことの意味

先に、丸亀製麺の例を出しました。

まさか、うどん屋が外需になるなんて、ですね。

要は、内需の中で特に優秀なものが、外需にもなるのです。

サッカーでもプロ野球でも、国内リーグで成績の良い選手は海外リーグに出ていったりします。日本サッカーは、1998年に初めてW杯に出場しましたが、そこから、海外で活躍する選手が増え始め、今や、W杯の常連です(今回はピンチだけど)。もし、選手が皆、国内リーグだけで満足していたら、こうはならなかったでしょう。

まとめ

 このことについては、安全保障をはじめ、いろんな視点、論点があります。しかし、総合的に考えるのは話が広がりすぎるので、今回は、主に、消費者視線から考えました。

  • 企業が元気になれば、自然と海外進出を目指す。そのような元気な企業が多い外需大国だけが、(豊かな)内需大国になれる。
  • 豊かな国とは、自国製品が世界最高水準にある国のこと。そのときは、内需も外需も増える。
  • 貧しい国とは、自国製品が売れず、結果として、自給率が高い国のこと。あるいは、国外への出稼ぎが多い国のこと。

コメントをどうぞ!

  1. アバター画像 Tomy より:

    結局、豊かさとは国民が世界が欲しがるものを作っているかどうか。
    お金の量だけ増やしてもそれが作れる供給能力が向上しなければ意味がないわけですね。

    • アバター画像 週末ボカロP より:

      そう思います。
      そして、日本の政治家が「日本国民には世界一、豊かになってもらいたい」と願っていたら、どのように考えても自由貿易一択だと思います。