今回は、主にMMTの人向けに書いています
20世紀後半に次々と生まれた共産主義国は、経済格差を完全に廃止した平等の国のはずでしたが、資本家階級を倒した後は、共産党幹部自身が特権階級となりました。特権階級となった共産党幹部は、今度は自分たちが批判されないために言論を弾圧しました。わざわざ敵を作り憎しみを増幅させて、敵を倒すことだけに熱中したあとで、皆が仲良くハッピーになれるはずもありません。
敵を作れば、敵も激しく反発します。社会を良くするために使われるべきエネルギーが、無駄に相殺され、消耗されます。
敵を攻撃する威勢のいいことを言う人たちは、スカッとすることで満足することが目的であって、本気で解決をしようとしない人です。
筆者は、決して、格差容認論者ではありません。有限の資産は保有格差縮小が良いと思います。しかし、それ以上に、貧困廃絶主義者です。そして、この2つが相反したときは、躊躇なく貧困廃絶を選びます。貧困廃絶なら、敵を作ることなく、皆が力を合わせることができるのではないでしょうか?
幸せは人と比べるものではありませんが、格差は人と比べるものです。従って、格差は幸せの尺度ではありません。大切なのは、どうしたら、皆が幸せになるか、です。
Twitterとかみていると、自分が得するときは「MMTだ。ばんばん国債刷れ!」とか言ってるのに、他人(金持ちとか)が損するように、急に貨幣プール論になったりする人が多すぎます。
そういう私が、(巷に氾濫する)格差是正論に対して、思うことを書こうと思います。
大富豪の共通点
努力して報われた結果としての大富豪
長者番付、上位5人の共通点を見ていきます。
第一に、富豪の大半が、相続による世襲富豪ではなく、叩き上げの創業者であるということです(上位5人の中ではサントリーの佐治さんだけが裕福な家庭)。
経済格差の一番の問題点として常に指摘されるのは、貧富の格差が相続され教育の格差を生み、世代を超えて格差が解消されず固定されることです。こうなると、「いくら努力しても報われることがないんだ」と絶望感が社会に充満します。
しかし、現実の日本の富豪は、庶民出身でしたが、頑張りの結果、大富豪となりました。逆に「努力すれば報われるんだ」と希望を与えているのではないでしょうか。
仕事中毒な大富豪
第二に、富豪の大半が、仕事中毒だということです。貧しい人を虐めている大富豪といえば、貧しい人たちを奴隷同様にこき使い、自分たちは仕事もせずに遊興三昧というロシア革命前夜のロシア貴族のようなイメージです。
でも、現実の日本の富豪は、私たち庶民よりも昼も夜も働き続けて、私たちの生活を豊かにする物サービスを、社会に出し続けているのです。ときには、贅沢なレジャーを楽しむこともありますが、それぐらいいいんじゃないでしょうか。
株式ボード上の大富豪
第三に、資産の大半が、自らが創業した企業の株式だということです。「格差拡大が-」の原因は、大半が株価上昇の結果に過ぎません。株価ボードを見なければ、気がつかない変化です。
創業者が保有する株式を売却するのは大変です。「創業者が見放した」という噂は株価下落の原因となりますし、敵対的買収にも備えなければなりません。売るに売れないことが多いのです。
創業者が実際にはほとんど売らない株式を大量に持っているのは、国債発行累計残高と似ていて、あまり意味のない数字です。
株価が上がっただけで、他は何一つ変わらないのに、格差が広がったと騒ぐのはどうかと思う。
社会貢献に熱心な大富豪
こんな引用をすると「金持ちは、パフォーマンスして善人ぶっているだけだ」とシニカルに思う人もいるかもしれません。あるいは、そういう面もあるかもしれません。でも、彼らは、1日中悪いことばかり考えていて良心はないのでしょうか?まあ、人間観の話は別の機会にします。
彼らは、とんでもなく苦労しているし、社会にとって、何が必要か、よく考えていると思います。富豪の財産は彼らが使い道を考えて、彼らのノウハウで執行したほうが世の中のためになるのであって、政治家や役所に任せても、あまりいいことにならないと思います(とはいえ、税は財源ではないのでしたね)。
富豪は財産の大半は、無限の資産。
もし、大富豪が日本中の土地を独占していて、一般庶民が狭い土地に閉じ込められているのなら、問題です。
また、大富豪が日本中の食料を独占していて、一般庶民が飢えているのなら、問題です。
有限資産なら、富の偏在は問題です。特に、土地などの有形非生産資産。
でも、無限資産である所有株式の時価評価額が高いことで、一般庶民に、どのような害があるのでしょうか?
例えるなら、MMT論者が「国債累積残高になんの問題があるの?」というのと似ています。ただの数字の羅列です。
孫氏の資産が、今の5兆円から5000兆円に1000倍になったら格差はすごく拡大するが、庶民にとっては殆ど悪影響はない。庶民にとっては年収が100万円から1000万円に10倍になることの方が、ずっと重大なのだ。
格差解消より、貧困解消の方がずっと大切なのだ。
以上、日本の政策を考えることが主題ですから、日本の富豪について観察したことを書きました。
でも、世界については、別。搾取としか言いようがない事例が多くあります。次は、ちょっとだけ、世界規模の経済格差に目を向けます。
地球規模の経済格差は、グローバリズムで縮小している。
世界人口のほぼ半分(43.6%; 32億7100万)の人が1日5.50ドル(月18,000円)未満で生活しています。富めるものから富を奪う制度が必要というなら、あなたは、月18,000円まで生活水準を落として、財を供出できますか?
富めるものから奪うタイプの格差是正論を主張される方は、自分が世界的基準ではお金持ちであることを自覚して、自らの主張に従って行動してから、その後で主張してください。
日本の話だから世界は関係ない、というズルいのは無しね。世界で困窮している人に無関心なものに、格差是正を訴える資格はありません。
一方、極度の貧困層は、1990年は35%以上を占めていましたが、現在は10%を切っています。世界的な国内格差が拡大している一方で、世界的な貧困は激減しているのです。
格差研究の第一人者ブランコ・ミラノヴィッチによれば、グローバルなジニ係数(格差の指標)は1988年の72.2から2011年には約67まで低下しています。
30年前、中国の医者や弁護士は、日本の肉体労働者より収入が少なかったのです。世界規模で同一労働の賃金格差が縮まった結果、日本国内では収入格差が拡大してしまいました。
MMT的な経済格差の解決方法
では、私なりの解決案を書きますが、その前に、いくつか共通認識を確認します。
マナーとルール
日本では、コロナ対策として「自粛要請」をしています。でも世界各国ではロックダウン等の「法と罰則」で対応しているところも多いです。
この違いが、マナー(思いやり)と、ルール(強制と罰則)です。
日本でも、マナーを守る人が十分でなければ、ルールにて対応するしかありません。
マナーは人間の「良心」に訴えるもので、ルールは「恐怖心」に訴えるものです。
「いや、ルールでもみんなで決めたことは自発的に守るよ」という人がいるかもしれませんが、それなら「マナーの確認」でいいはずです。ルールの本質は罰則が見え隠れすることです。
もし、マナーで対応できるなら、その方が良いに決まっているのです。自発心こそ、社会を良くする原動力です。マナーでは対応できない時に、ルールを決める必要が出てきます。
ルールよりマナーで対応できるなら、それに越したことはないです。
日本人は、中流が好き
筆者は、お金持ちにはなりたいですが(笑)、10億円ぐらいあれば十分です(夢です)。10兆円あっても、使い道に悩みますので、そんなに要りません。多くの人はそうではないでしょうか?選択肢を書きます。
ほとんどの人は、前者を選択するのではないでしょうか?いくら金持ちでも、みんなから軽蔑されるのは、嫌すぎます。1兆円を超える大富豪の立場に立って考えてみれば、どうしたいですか?
彼らは、資産が、この後、1兆円、2兆円、増えたところで減ったところで、それを所有し続けることに、どれほどの関心があるものでしょうか。
これが、どこかの国なら別なんだけどね。
江戸時代の豪商である紀伊国屋文左衛門は、贅沢の限りを尽くし一代で没落しましたが、「正直であれ」「堅実に生きよ」「倹約を忘れるな」「勤勉に務めよ」という家訓を持つ近江商人は、長く繁栄しているものが多いです。
紀伊国屋文左衛門タイプの富豪は、放っておけば滅びるのです。
社会に反するものは、永続しないのです。
MMT的には、どうなの?
前にも書きましたが、
さらに、
筆者は、累進課税強化による格差是正に反対ですが、それは、MMTに基づいて考えたら、そうなります。
非MMTであれば、国は税を財源として運営されているため「税金を多く納める人は偉い」となりますので、非MMTで考えていたら、格差是正のための累進課税強化も支持していたかもしれません。
皮肉
しかし、MMTでは、税は罰金、なのです(景気調整機能なのもありますが、それもインフレを起こした罰と考えられます)。一生懸命に働いた結果として収入を多く得たからといって、罰せられるのはどうなんでしょうか?これは、社会にとって、大変に有害な対応ではありませんか?
商品貨幣論に基けば、貨幣は最も重要な富です。しかし、MMTでは、貨幣は富ではなく、経済の潤滑油に過ぎないのです。経済格差とは、正確には、「富の保有及び取得(貨幣で物サービスを買う)の格差」なのです。
ということで、私の解決案は、強制ではなく自発心、ルールではなく「良心」に訴えるマナーによる解決です。個々のブラックな行為に対しては政策を作る必要があります。しかし、全般的には、富豪自らが対応するのに任せればいいという意見です。
下記投稿を参照して下さい。
ただ、それは、富豪の財が無限財産である場合であり、土地などの有形非生産資産は何らかの格差是正が必要かもしれません。
経済格差の解決にかかる、いろんな論点
さて、ここからはQ&A形式で、いろんな疑問を書いていこうと思います。
- Qピケティは21世紀の資本という著書の中で「r(資本収益率)>g(経済成長率)」と説明しました。格差は広がる一方ではありませんか?
- A
繰り返しますが、筆者は、格差縮小論者です。トリクルダウン論は支持しません。その前提で。
普通に考えても、能力には個人差があるのですから、経済格差が拡大するのは自明です。問題は、対処方法です。
- 格差是正対策により、新たに不平不満を持つものが、できるだけ生じないこと。(分断の原因となるため)
- 経済の発展を、できるだけ損なわないこと。
- 有形の資産(土地とか)と無形の資産は別に考える。
となると、富豪から富を制度的に取り上げるのは、好ましい方法ではありません。有効に機能しないと思うからです。
いろいろと、ややこしい制度を作ると、政治家は抜け穴を作って利権とするのです。そういうのは、やめませんか。
- Q富豪は消費性向が低いから、富豪に富が集中することは消費の低迷を招きませんか?
- A
いやいや、冨は有限ではありませんし、富豪が多く冨を持つことで庶民の富が減るわけではありません。
困るのは、富豪が冨を多く持つことではなく、富豪が過剰消費することで、供給能力の制約をたやすく超えることです。消費性向が低いのなら、むしろ、いいことじゃないでしょうか?ここで問題にしなくてはいけないのは「消費の格差」です。
「供給の制約」だけを気にしてください。富豪の消費が少ないなら、誰にとっても問題ありません。
- Q富豪が、贅沢の限りを尽くせば、インフレになりませんか?
- A
上の「富豪は消費性向が低い」と真逆の主張ですね?まず、仮に富豪の消費が多くとも、贅沢な消費活動は、貴金属とか超高級腕時計とか、有名画家の絵画とか、庶民の経済活動とはバッティングしないものです。富豪がマックバーガーを買い占めたなら困りますが、富豪であってもマックバーガーを食べる量は、いくら腹一杯食べたとしても庶民とほとんど変わりません。
庶民向きの商品が品薄になり、値上がり傾向となれば、庶民向けの景気を冷ます対策が必要です。富豪の消費とは、あまり関連性がありません。
- Q経済成長は格差を生みます。経済成長を止めることが、地球温暖化を止めることです。格差是正が、地球温暖化を止めるのではありませんか?
- A
経済が成長し、技術が進歩するほど、環境に優しくなります。先進国より発展途上国の方が、環境汚染がひどいです。ですから「脱・成長」のような主張は間違いで、正しく経済を成長させなければなりません。
- Q格差は社会の分断を招き、結局は富豪も困りませんか。
- A
そうなのです。経済格差は、富豪も庶民も誰にとっても望ましいことではなく皆が困るのです。分断の解決のためには、まず「資産拡大ガー」と叫び、嫉妬と憎悪を拡散する人たちにやめてもらいましょう。
極端な例ですが、大富豪の資産が1000兆円になったところで、最貧民年収が1000万円(物価そのまま)になったら、分断とか心配はいらないと思います。
逆に皆が平等に貧しくなってしまったら、些細な差異をめぐって争いが絶えなくなるのではないでしょうか。
さて、ここからが重要ですが「結局は富豪も困る」に解決のヒントがあります。
「結局は富豪も困る」だったら、富豪自らが解決に動くのではありませんか?
日本の富豪は、ロシア革命前夜の貴族のように、庶民に無関心な人たちではありません。庶民が何を求めているか感覚を研ぎ澄まし、その結果、消費者の支持を得て富を得てきた人たちなのです。政治家の駆け引きの結果である「法(税含む)による解決」よりも、ずっと良い解決策を採り実行します。
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国家が資本を管理して経済活動しても成長が難しいのは社会主義国で証明されてましたし、民間の経済活動で成長してる富裕層から税金を成長の罰則として徴収して分配していてもきっと成長力は衰えてしますでしょうね。みんなで等しく貧しくなるのではなく、努力して成長してる富裕層と富を分かち合うのが豊かな国なのかと思います。
経済は基本的にWin-Winで「経済的に成功した人たち」は「国民を豊かにする知恵と実行力に秀でた人」なので、その人たちの力を最大限に活用してもらうことが、世界中の人々がもっとも豊かになる道だと思います。
また、その人たちが稼いだお金は、その人たち自身で活用法を考えてもらうことも然りです。