昭和20年ごろ、少子化のターニングポイント

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家業の衰退

「家制度」の終わり

そして、昭和35年(1960年)頃からは、農村人口自体が減り始めます。

これを説明するために、古来からの日本の「家制度」に触れます。
昔の日本のように「家を守る」こと(実子であろうが養子であろうが家を継ぐ跡取りの確保)が何よりも優先される社会では、あらゆる手段で、家の数だけ人口が確保されることになります。「おしん」のような極貧の農家でさえ、「先祖伝来の田んぼは守らなければならない」のです。つまり「家制度」が厳守されれば、人口は(「家の数」以下には)減らないのです。

制度としての「家制度」は、戦後の民法改正で廃止されましたが、農民の価値観(心の中にあった「家制度」)はどのようにして失われていったのでしょうか?

日本の近代化は都会が先行しました。

農村に残った「農家の長男」より、都会に出ていった「次男坊、三男坊」のほうが、ハイカラになってしまったのです。

でも、戦争が起こり、都会は空襲で焼け野原となり、職場も失われ、食糧難も起こりました。

この時期、農村では、戦争で男手が不足していたこともあり、少しずつ、機械化が始まっていました。そのような農業の近代化や農地改革もあり、都会と農村の魅力が逆転します。

昭和20年代、500万人ぐらいの都会に出ていった人たちが農村に帰ってきます。そのため、江戸時代から昭和50年頃まで1400万人前後で推移した農業従事者数は、1900万人まで急増しました。

それは、都会に戦前からあったハイカラな考えかた、占領軍が持ち込んだ戦後民主主義的な考えかた、が農村に浸透することを助けました。昭和20年代を境に、全国的な既婚女性の生涯出生児数が劇的に下がったのは、その影響もあるのではないかと思います。

しかし、その後の都会の戦後復興は、目覚ましいものでした。都会の商工業での労働力需要が旺盛になり、また、彼らは農村から都会へ、戻ります。

さらに、工業の発展による輸出力強化と、海外産の安い農産物の輸入拡大のため、都会の商工業従事者と、農村との間での経済格差が広がります。

その結果、農家の跡取りまでもが、都会の職に就き始めます。交通の発達が、都会近郊農村からの通勤による兼業化を可能にしましたし、地方からも農閑散期に出稼ぎをするようになります。

そもそも、家制度を守るのは、そこに、生計を生み出す資産があったからです。しかし、「先祖伝来の農地」から生まれる収入より、何も持たない(都会の)勤め人の収入のほうが多くなってくると、家制度を守る意味が薄れてきます。

都会近郊では、農業を捨てる者が現れ、手放された農地が新興住宅地となっていきます。こうして、農村人口を急激に減らし始め、「家を守る」意識も失われていきます。

上の図は、東北北陸10県と東京都の普通出生率と出生数の比較です。

東北北陸10県は、戦後は一貫して、下降トレンドですが、東京都は1955年(昭和30年)ごろから上昇し始めます。地方からの移動で若い夫婦が増えたからだと考えられます。しかし、1975年(昭和50年)少し前から東北北陸10県以上に下がりはじめるのです。

農村での出生増は1945年(昭和20年)代前半に終わり、都会での出生増は1975年(昭和50年)少し前に終わりました

仕事としての家業

既に言い尽くされている正論を書いても仕方ないので、このへんから暴論モードに入っていきます。

「家制度があれば、人口は減らない」と書きました。

家を守るために、実子でも養子でもいいから、後継者となる子供が必要で、それが、最優先事項になるからです。

その「家制度」から、「先祖の墓を守る」的な祭祀的側面は外して、もっぱら経済的な面で考えてみます。

つまり「家業」と置き換えて考えてみます。

「家業」とは、農民のほか、商売人や職人も含まれますが、親は子どもの近いところで仕事をしています。昔から、子どもが親の仕事を手伝う「労働」が、家業の仕事を覚える「教育」でした。家業を手伝えば手伝うほど、家業を継ぐための学習が蓄積されていったのです。

そこでは「多くの子どもを持つと教育費負担が大変」なんて思いません。「子供は勝手に育つもの。さらに、子どもは仕事を手伝ってくれたので、多いほど経済的に助かった」のです。

このあたりは、現代の発展途上国の人口爆発の原因と共通しています。

でも、時代が進むにつれて「百姓をするのに、読み書きは要らん」が「教育を受けなければ、耕運機の説明書すら読むことができない」に変わり、「作物のデータをセンサーで集めてITで分析するスマート農業」に発展していきました。

「人力」から「機械」への流れは、単純な軽作業の機械化から始まりますから、最初に不要になるのは、子供たちの労働なのです。

「子供による単純労働」が機械に奪われた一方で、その機械を動かす「スキルを持った農業技術者」が必要とされるようになります。

つまり、高等教育が必要となってきたのです。

その結果、昔なら、子育てコストの回収が7歳ぐらいから始まっていたのに、現代では20代になりました。家業の場合、親の責任は「家業を無事に子に引き継ぐこと」と「子に家業を担うに足る教育を与えること」ですので、「初期投資期間が長いほどリターンも大きくなった」というふうに考えることもできます。

医療の進歩により子どもの死亡率は下がりましたが、昔のように「家を継ぐのが当然」の時代ではなくて「子の自由意志」リスクがあるので、家業の継続を望むなら、やはり複数の子どもは欲しくなります。

でも、家業でなく「子どもの好きなように職業を選ばせたい」というときは、教育コストとリターンの関係が、曖昧になってきます。

親心としては「親が子どものために出来ることは何でもしてあげたい」ので、本当に必要かよくわからないけど「隣家の子が塾に行ってるから、うちの子も塾に」「子どもは、明確な進路は考えていないようだけど、とりあえず大学に進学させよう」みたいに、必要かどうかわからない費用をどんどん増大させていきます。

教育にかかる費用の負担感

教育費用をかける目的が曖昧なので、「同じように塾に行っているのに、なぜ、結果が違うの」が「塾に行きたいなんて、誰も頼んでないよ」と、ミスマッチが続きます。

子育ては試行の連続なので、(企業の研究開発費のように)ロスが多いのは当然ですが、

お金って、満足を得たことと引き替えに払うものなのに、教育にかかるお金って満足と釣り合うのか曖昧です。コストにリターンが見合うのか、わからないのに、他の親が出しているから自分たちも出す、みたいなことが、経済的な負担感になっているのではないでしょうか。

実現したい願望の比重の大小

一般に夫婦は、人生計画の中で、経済的、時間的、精神的な、制約の中で、
「老親の世話をしたい」
「仕事のキャリアを積みたい」
「持ち家が欲しい」
「趣味を楽しみたい」
等々の願望を実現しようとします。

全ての願望を実現するのは無理なので、それぞれの願望に優先順位、比重の大小をつけます。

昔は、貧しくて、願望を実現する力は小さかったけれど、
家制度、つまり「先祖代々の田んぼは守らなければならない」が、最優先事項でした。また、子供が病気で亡くなる率も高かったので、「一人でも多くの子供が欲しい」の比重が、限りなく高かったのです。

「勤め人」にも「子どもが好きだから」と多人数の子どもを持つ人もいます。でも、「勤め人」にとって「子どもを持つこと」は、人生計画の要素の一つに過ぎず、人によって要素のウェイトが異なるに過ぎません。

一方、「家業」を次世代につなげたいと願うなら、後継者たる子どもは、「子供が好きかどうかと関わりなく」最優先事項です。

しかし、明治以降の発展、とりわけ昭和の高度成長期に、家業を継いだ長男よりも、それができなくて都会に出てきた次男や三男のほうが収入が多くなるということが起こりました。

一定の事業資産がある「家業」よりも、ゼロからのスタートである「勤め人」のほうが経済的に優位になっているという現実の前に、家業の経済価値が暴落しました。それに伴って、現代の農家や、中小の商工業でも、「家業は将来の見込みはないし、子供に継がせなくてもいい」となり、子供を持つことの価値が、どんどん下がっていったのではないでしょうか。

家業の中心は親業

生物は遺伝子情報を子孫に伝えようとします。ほ乳類になると、餌の採り方も教えます。これは本能です。

人間は社会的な生きものですから、「良いこと悪いこと」の道徳から「生きるための知恵」までを子どもに伝えようとするのは、人間に本来備わった性質だと思います。

家庭は、ずっと、その機能を担う場でした。

これまで「仕事としての家業」について書いてきましたが、正しくは、家業の中心は「親業」なのです。農家などの「家業の仕事」は、オプションに過ぎません。

昭和20年の敗戦により、これまで親が「正しいこと」と教えてきたことが「間違っている」とされました。親や大人の権威喪失の影響は、小さくなかったと思います。

そのうちに、先進国では、テレビが普及し始めて、(極端な言い方をしますが)テレビが親の代わりに子どもの教育をするようになりました。道徳や知恵といった情報を伝える場としての家庭の機能、家業の価値が下がっていきました。これは、先進国に共通する現象です。

国立社会保障・人口問題研究所の全国家庭動向調査では、有配偶女性に対する「夫や妻は、自分達のことを多少犠牲にしても、子どものことを優先すべきだ」という設問が、過去から、どの年代においても、ほぼ80%の賛成を得ています。

「子供の持つことの経済的価値、社会的価値」は下がっても、「子供を持つことの責任の重さ」だけは、いつの時代も変わりません。

かつては、親と子の情報量(生きるための知恵)の格差は圧倒的でしたから、親が子に、いろんなことを教えるのは、容易いことでした。容易く「親の責任」を果たせたのです。でも、現代は(昔に比べれば)親が自信を失っています。

ということで、「昭和20年ごろに起因する少子化の原因」は「家業の衰退」だと考えます。。そして、今では、「家業の魅力低下」は、ますます深刻化し、「農家や中小企業の後継者不足」問題や「保守リベラル教育」論争など、いろんなところに波及しています。

そこに深入りすると少子化問題から外れますし、過去に学ぶことはできても過去に戻ることはできません。ここからは、それにとらわれず少子化問題の対応アイデアを考えてみます。

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