大衆を扇動する独裁者が生まれる条件

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扇動者の特徴を書くと

  1. 金持ち階層(あるいは他のグループ)を憎悪の対象とする。
  2. 格差解消を強く主張し、大きな政府を志向する。
  3. 大抵は、反宗教の立場で、自分たちは科学的だと思っている。

はじめに

ネットの一部に、〇〇氏を悪者に仕上げて悪口雑言を書き散らす人たちがいます。

「▲▲国の手先がー」「竹▲▲蔵がー」みたいな

竹▲▲蔵氏が、労働者派遣法の成立には何ら関わっていないことは、少し調べれば明らかなのに、客観的事実には興味がないのです。

昔は、そういうのは、飲み屋の酔っ払いがすることでした。しかし、SNS時代は、酔っ払いの話を真に受け取っている人が「自分たちこそが正しい」と思い込んでいます。

でも、筆者は(おそらく、ほとんどの人は)、政策とか冷静に議論して欲しいのです。考え方が違っても、その違いは、「論理的に優劣」をつけて欲しいと思いますし、敵味方に関係なく「人格攻撃」は不快です。

大多数の人は、「自分と異なる意見を尊重できない人なんだな。信用できないな。」そう思っています。

「政治無関心」とか言われますが、違うと思います。そういうのに巻き込まれたくないので無関心を装っているのです。ですから「▲▲国の手先がー」みたいな悪口雑言は、仲間内で盛り上がるかもしれませんが、その他の人は静かにドン引きしていきます。

ですから、憎しみを撒き散らす者は、身内で盛り上がるだけで、通常は、多くの支持を得ることはないと思っています。ただ、時と場合、状況によって、思ってもみないことが起こりうることもあります。

そこで、今回は、過去に登場した「憎しみの扇動者」について書いてみます。

権力欲の権化

間違った倫理観に洗脳された人は困ったものですが、本当に害のあるのは、倫理観がなく、権力欲と、それを実現する能力が突出している人です。

普通の人は、組織の方針や立場と、自分の「倫理観」の間に挟まって苦しむことがあります。でも、倫理観のない人には、こういう苦しみがありません。権力欲の権化となっている人は、権力の階段を登るために、服を着替えるように価値観を簡単に乗り換えます

そう言う「ミスター権力権化」は、

  • 自由主義の社会では、強欲な企業家となり
  • 社会主義の社会では、政治家や官僚となり
  • 共産主義の社会では、共産党の幹部を目指します。
  • 中世のヨーロッパなら、聖職者になっていたかもしれません。

ですから、どんな社会の仕組みを目指そうが、「ミスター権力権化」は、権力を目指し、そのためにはなんでもできるので、成功しがちなのです。

政治体制は関係ないのです。

安全なのは、権力集中しない仕組みです。政治的自由は経済的自由に依存しますので、経済が集中しないこと(特に政治に)です。

ちなみに「自由主義」の社会では、「ミスター権力権化、けしからん」とSNSに書くことは自由ですが、「共産主義」の社会でそれをすると、警察につかまり拷問されます。

世界の権力欲の権化

憎しみを撒き散らす扇動者。歴史上、事例は豊富です。特徴は、

わかりやすいスケープゴートを作って、憎しみを掻き立てる一方で、格差解消を訴えることです。

ヒトラー

まず、ヒトラーです。「国民社会主義ドイツ労働者党(蔑称ナチス)」ですが「労働を軽視するユダヤ人に対して労働を恥じないゲルマン人」を意味して名付けられたそうです。世界恐慌で生活が苦しくなる一方のドイツ人労働者に対して、「ユダヤ人金融業者が恐慌を利用してマネーゲームをして大儲けしている」と憎しみを掻き立てました。

ナチスがドイツの国政選挙に初めて挑んだのは、1928年5月で、当選者は12人しかいませんでした。しかし、1932年7月の選挙で全584議席中230議席を得て第1党となり、1933年1月にヒトラーが首相となり、7月にナチス以外の政党が禁止されます。1935年1月になると、右手を挙げて「ハイル・ヒトラー」と挨拶する個人崇拝が義務付けられるようにまでなってしまうのです。あっという間のことです。

ナチスの根本思想は社会全体を「均質化」する「強制的同一化」でした。「ドイツにはいかなる階級も存在せず、存在を許されない」としたため、階級、格差を壊すあらゆる取り組みがおこなわれました。

象徴的なのが、ドイツ人を階級対立のないひとつの「民族共同体」とする目的で、政府の管理のもと、旅行・スポーツ・音楽コンサートなどをおこなった「歓喜力行団」といわれるレジャー活動組織です。上流階級の人たちは私的なクラブを解散させられる一方で、下流階級と同席するよう参加を強要されました。1939年までには、7,000人の職員と135,000人のボランティアが働くドイツ最大級の組織となります。労働者階級の人たちは、高級保養施設やクルーズ船など、手の届かなかったレジャーを体験するとともに、ここでは、労働者階級の人たちが優先的に役員となって上流階級の人たちに対して肉体作業の指図ができるなど、労働者階級の人たちの歓心を買う工夫がふんだんでした。

1938年から2003年まで製造された、カブトムシの形で有名な自家用車フォルクスワーゲン・タイプ1(通称ビートル)ですが、カーマニアでもあったヒトラーが「自動車が金持ちのものである限り、それは貧富を分ける道具にしかならない。」と国営企業フォルクスワーゲン製造会社で製造開始したものです。

ナチスは、20世紀以降の世界では、一般庶民の熱狂的支持を取り付けたという意味では最大のポピュリズム成功例だったのでしょう。そして、庶民が熱狂して気がつかない間に、恐ろしい独裁体制が堅固になっていったのです。

毛沢東

共産主義には、スターリン、ポルポト、役者が揃っていますが、もっとも代表的なのが、毛沢東です。

毛沢東の生涯は、ドラマ満載ですが、クライマックスは文化大革命(1966年〜1976年)です。文化大革命とは、毛沢東が、権力闘争のために秘密裏に学生の秘密組織(紅衛兵)を組織し、学生や大衆を扇動して政敵を攻撃させた官製暴動のことです。紅衛兵は、『毛主席語録』を掲げて街頭へ繰り出し、有産階級出身の人(既に財産が没収されていたが)を中心に多くの人々に暴行を加え死傷させましたが、これに対して、毛沢東は、「造反有理(謀反にこそ正しい道理がある)」「革命無罪(革命のためなら何をしても罪にはならない)」と支持し、共産党として公認します。

 その一つを紹介します。赤い八月といわれる騒動です。1966年8月1日に北京師範大学附属女子中学で学生たちにより教頭が木の棒で殴打されて死亡するという事件が起こります。8月18日、天安門広場に百万人超の紅衛兵が詰めかける中、事件を起こした学生の代表である宋彬彬が毛沢東の腕に赤い腕章を巻くという有名な出来事が起こります。紅衛兵はますます大胆になり、その後市内で大規模な殺害を開始、多くの学校の教師と校長を含む合計1,772人が紅衛兵によって北京で殺害されます。

 用いられた殺害方法には、殴打、鞭打ち、絞殺、踏みつけ、釜茹で、斬首などがあった。特に、乳児や子供を殺す場合はたいてい地面に叩きつけたり、真っ二つに切ったりしていた。著名な作家である老舎をはじめ多くの人々が迫害された後、自殺した。

 この虐殺の間、毛沢東は学生運動への政府の介入に公然と反対し、公安部の謝富治も紅衛兵を保護し、逮捕しないように命じた。

「赤い八月」wikipedia

驚いたことに、現在に至るまで紅衛兵による殺人や破壊についての責任追及は極めて少なかったのです。赤い八月で、もっとも中心的な役割を果たした宋彬彬は、文化大革命の後、中国科学院の研究生になります。その後、米国に留学、マサチューセッツ州環境保護局で働き、米国籍まで取得しています。さらに驚いたことに、2007年、北京師範大学付属実験中学(北京師範大学付属女子中学の後継)が栄誉校友90人の一人に宋彬彬を選出。校長殺しの殺人犯に名誉を与えたのです。しかし、これは当然で、学生たちは、(共産党のNo.1である)毛沢東によって扇動されたのすぎません。毛沢東が称賛している行為を断罪するわけにはいかなかったのです。

毛沢東が文化大革命を起こしたのは、政敵を追い落とすためです。

1958年、毛沢東が指導した共産主義に忠実な大躍進政策は当然に大失敗し、1,500万〜5,500万人が死亡する大飢饉が起こります。(責任をとって一線を退いた)毛沢東に代わって劉少奇が国家主席に就任し、大躍進政策で疲弊した経済を回復するため市場主義を一部取り入れますが、毛沢東は、そこを攻撃し、文化大革命を始めたのです。紅衛兵が劉の自宅に乱入し、劉とその家族に暴行を加えたとき、劉は中華人民共和国憲法を手にして「私はこの憲法に書いてある国家主席だ。あなたたちは今、国を侮辱している」と叫んだが、リンチから逃れることはできなかったそうです。

市場経済派に対する攻撃は、いつも、個人攻撃です。歴史に学べば「またか」と分かるはずですが。

共産主義の本質は権力闘争であり、共産党がある限り、周期的に繰り返されることでしょう。日本共産党については、立花隆氏の「日本共産党の研究」を読めば、中国共産党と相似形であることがよくわかります。

宗教はアヘン

「憎しみ」を精緻に理論化し、最も多くの人々を殺戮していったことでは「共産主義」ことマルクス・レーニン主義を超えるのものはありません。これを端的に表すのが「宗教はアヘン」というマルクスの批判です。

 アヘンという言葉には、宗教に対するマルクスの批判もこめられています。宗教は民衆にあきらめとなぐさめを説き、現実の不幸を改革するために立ち上がるのを妨げている、という意味です。

「2010年7月15日(木)「しんぶん赤旗」」日本共産党

人の心を揺れ動かし、行動につなげる大きな感情は、「愛」か「憎しみ」だけです。もし、「愛は、あきらめ」なのなら、「憎しみしかありません。」

 日本共産党は、ソフトを取り繕っていますが、本性が出ています。

マルクスが念頭に置いているのはキリスト教ですが、キリスト教が「あきらめ」を説くということはありません。キリスト教が説くのは「どんな状況でも愛をあきらめないこと」です。

「愛」は、現実の不幸を改革するために立ち上がるのを「妨げている」どころか、原動力です。

 マザーテレサの言葉ですが、

人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。

『マザー・テレサ100の言葉』女子パウロ会

どこの国でも国を良くしてきた原動力は、家族愛、隣人愛、郷土愛という「愛」が昇華された正しい「愛国心」です。「愛国心」がない改革は、権力欲や金銭欲に汚されて頓挫します。「正しい愛国心」と「歪んだ愛国心」を見分けるコツは、「憎しみ」の有無です。

憎しみの連鎖は、言論弾圧まで続く

このような「憎しみの扇動者」は、歴史上、事例が豊富ですが、共通しています。

扇動者が「悪い奴のせいで、庶民は苦しい生活をしている」と悪者(スケープゴート)を攻撃し、政権を取ったとします。でも、当然ながら、庶民の生活は、悪い奴が排除されたぐらいでは簡単に良くなりません。そこで、政権を取ったものは、新たなスケープゴートを見つけ出すのです。20世紀後半に次々と生まれた共産主義国家では、共産党以外の政党を消したあとは、共産党内部で悪者探し、粛清の嵐が続きます。疑心暗鬼になり、最高権力者は、No.2を粛清し、自らが批判されないように言論統制、言論弾圧を強めます。そして、独裁国家が誕生します。

類は友を呼び、憎しみが憎しみを増幅させます。憎しみの扇動者の求心力によって「憎しみ」型の活動家が集まります。「憎しみの強さ」強調合戦がエスカレートします。「憎しみ」型の運動は、最後まで「憎しみ」型のままです。

特徴としては、「一部の悪い人の金儲けのために格差が拡大し庶民が苦しんでいる」と一般民衆の憎悪を掻き立てて、人気取りの格差是正の社会主義政策を主張し、反対者への執拗な攻撃をするものです。

「格差の解消」と「貧困の解消」

「貧困」は社会から無くさなければなりません。そして、皆で、「希望」をモチベーションにして心を一つにすることで貧困は乗り越えられるのです。しかし、憎しみの扇動者は、「貧困の解消」を「格差の解消」と言い換え、モチベーションを「憎しみ」にすりかえます。

気をつけなければいけないのが、こういう人たちです。

わかりやすいスケープゴートを作って、憎しみを掻き立てる一方で、格差解消を訴える扇動者。

憎しみは、良いことは何もない

政策は大切です。でも、政治家を選ぶとき、政策よりも、人間性のほうがもっと大切です。人間性に問題がある政治家は、都合のいい時だけ自分に役に立つ政策を主張し、都合により簡単に捨てるからです。有権者との約束を守るだけの誠実性に欠ける政治家が、いくら政策を訴えても、虚しいです。

「憎しみ」を連呼する政治家や識者は、警戒しなければなりません。

豊かには、なりたいです。でも、「憎み合う金持ち家族」より「仲が良い貧乏家族」のほうが、ずっといいです。豊かになるために、憎しみを拡散するなんて、ありえません。社会から、どのようにして「憎しみをなくしていくか」が「みんなが幸せな社会」を作る近道だと思います。

まとめ

  • 人格攻撃ではなく、理論や政策論争で、優劣をつけましょう。
  • 憎しみを拡散する識者や政治家には、気をつけましょう。
  • 正しい貨幣論は大切ですが、正しい人間観はもっと大切です。

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