イスラエルとパレスチナのWIN-WIN【前編〜解決を拒む既得権益】

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前編は4ページに分かれています

以下は、先に紹介した(ハマス共同創始者の息子)モサブ・ハッサン・ユーセフ氏の言葉です。ハマスの環境で成長してきたユーセフ氏は「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という聖書の言葉に衝撃を受け、キリスト教徒となります。

かつて金も権力も地位もあったが、私が本当に求めていたのは自由だった。それは何よりも、憎しみ、偏見、復讐への欲望を捨て去ることを意味した。イエスの言葉―汝の敵を愛せよ―が最終的に私を自由にした。もはや、誰が友で誰が敵かなど、どうでもよくなった

私は、彼ら全員を愛するのだから。

「ハマスの息子(青木偉作訳、幻冬舎)」

ローマ帝国が支配していた時代のユダヤ人は、ローマ帝国を破りイスラエルを回復するメシアとしてイエスキリストを祭り上げようとしましたが、キリストは、それを拒みました。

神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。
『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 

ルカによる福音書17:20 新約聖書

「ハルマゲドン最終戦争で神の国が到来する」論者の思考は、その当時のユダヤ人と同じです。ミイラ取りのつもりで自分がミイラなのです。

また、次のようにも書かれています。

「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」(略) 

彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。

イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。

ヨハネによる福音書8:4-11 新約聖書

この聖書の箇所は、他者を裁くために宗教を利用することの愚かさを諭しています。

「宗教は他者を裁くため」のものではないのに、「他者を裁きたい者が宗教を利用」します。

「宗教が差別の原因」ではなく「差別をしようとするものが宗教を利用」するのです。

宗教指導者であれ、一信者であれ、信仰に忠実な者もいれば、己を正当化するための隠れ蓑に宗教を利用しようとする者もいます。

経済格差をことさら強調して政治対立に利用しようとする勢力があるように、宗教の違いをことさら強調して政治対立に利用する勢力があり、メディア的に目立ちますが、対立が経済の本質ではないように、対立が宗教の本質ではないと思います。

民族も文化も宗教も、過去の出来事も、たいていは解決を妨げる大きな障壁ではないです。本質的な問題を隠蔽するために隠れ蓑にされているだけです。


今回の投稿をまとめます。

パレスチナのテロは、最初のうちは、虐げられた弱者の最後の手段だったかもしれません。でも、今のテロは、パレスチナの社会に組み込まれた経済手段です。

いつまでも解決しないのは、経済体制として出来上がってしまっているからです。暴力が続くことによって一部の者が潤う既得権益となっています。

下の投稿に続きます。

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