イスラエルとパレスチナのWIN-WIN【前編〜解決を拒む既得権益】

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中東では、テロが主要産業

幕末日本では、尊皇攘夷というイデオロギーが歴史を動かしてきました。最初は、外国人を殺傷したり、外国館を焼き討ちしたりしていましたが、薩英戦争や四国艦隊下関砲撃事件等を通して無謀を悟り、外国に学び、外国と肩を並べる国力をつけることで外国の干渉を撥ねのけることを目指すようになります。前者を「小攘夷」、後者を「大攘夷」と呼ぶそうです。

「小攘夷」しか考えていないものは「大攘夷」に激しく反発します。

日本では、「大攘夷」即ち富国強兵のため、武士の既得権益は廃止しました。そのことで、小攘夷に熱心であった長州、肥前、薩摩などの武士は、激しく武力闘争で抗いますが、西南戦争を最後に諦め、その後は「言論」で主義主張をする自由民権運動へと向かいます。

「現代中東のカリフ制を目指すイスラム革命って日本の尊皇攘夷と似ているなあ」と思い、「イスラム教の聖戦にも同じような考え方がないのかな」と調べると、異教徒に対しての戦いは「小ジハード」で、個人の心の中にある悪や欲望や利己主義と戦って内面に正義を実現することが「大ジハード」だそうです。

現代中東の現状は「小ジハード」全盛、つまり、幕末初期の志士たちが主義主張を振りかざし殺傷を繰り返していた「小攘夷」の頃と同じなのかもしれません。いつか、考え方も変わるかもしれません。わかりませんが。

イスラム志士の場合は、幕末の志士たちのようにピュアではなく、私利私欲も強いようにも思えますが。

政教一致の宗教指導者による統治というなら、「德」による政治をすればいいのに、「恐怖政治」って!

それ以前に、神聖なモスクを兵器製造工場にしたり、聖地エルサレムに向けてミサイルを撃ったり、意に沿わないイスラム指導者を虐げたり、ハマスは、小ジハードを都合よく切り取っているだけに思えます。

今の日本を始め、現代民主主義国家では、当たり前のように、武力ではなく言論で主義主張を戦わせます。でも、それには「暴力を持って主義主張しようとする行為は、力によって押さえ込む」体制が前提です。どんな社会でも、暴力に訴えようとする少数の輩は必ず現れます。ですから、暴力を力で封じる国家権力がないと、言論の自由など絵に描いた餅です

そして、その暴力が弱い場合、力による封じ込めは(日本のように)ソフトなものとなり、その暴力が強い場合、力による封じ込めは(イスラエルのように)強引なものとならざるを得ません。

「武力闘争による主義主張」社会は、容易に「言論による主義主張」社会に移行できるわけではありません。大きな障害が、「武力闘争産業(日本で言えば武士階級)」の「既得権益」です。

明治日本での既得権益を失う「不平士族」が内乱を起こしたように、悪あがきのような武力闘争が燃え上がります。

現代中東の状態が、これです。明治初期の日本で、近代国家を作りたい政府が、(武士階級を無くしたくない)不平士族の暴発を一つ一つ潰していったのと、中東のテロとの戦いも、基本的に同じだと思います。

アラブ諸国は(君主国家を除いて)ほとんどが、国内の武装反政府組織の扱いに苦しんでいます。

日本の公安調査委員会の「国際テロリズム要覧2022」に載っているだけでも、イスラエルとパレスチナ10団体(うち1つはハマス)、シリア16団体、レバノン3団体、イラク8団体、エジプト8団体、もあります。

先に紹介したハマス共同創設者の息子ユーセフ氏はfoxnewsのインタビューの中で、「ハマスはパレスチナの愛国者であるどころか、ナショナリズムそのものに反対しており、(イラン型の)イスラム革命を世界に展開するためにパレスチナを利用しているだけ」と述べています。

イランでイスラム革命が起こった経緯について、当時、在イラン日本国大使館に在勤していた長谷川和年氏は次のように書いています。

パーラビ王朝の国王、シャーは英邁な君主であったと思う。(略)

主なものは、農地開放、婦人参政権の実施等々であった。イランでは、モスク(僧院)が歴代大地主であったが、シャーの農地開放により、僧院、僧侶の所有地は接収され、分割、開放された。その結果、彼等の経済的地盤が破壊された。また、イランは国民皆兵制で、従来、僧侶は兵役を免除されていたが、シャーは、この兵役免除を撤廃した。これらの施策は、イスラム教僧侶及び僧院をして「反シャー」で結束させることとなった。(略)

もともとイラン人の大半は(下層階級を含め)非イスラムであった。反シャーの動きが激しくなり、1979年1月16日にシャーは国外に脱出した。2月11日に反シャー派がシャー支持勢力に勝ち、ここに革命が成就した。

「イラン・イスラム革命 その歴史的考察」

また、アメリカのカーター大統領の「人権外交」圧力により、収容所に収監されていた4千人と言われる「反シャー」分子を釈放したことが、革命のプロセスを加速させた、とも書いています。

宗教に目を奪われがちですが、イスラム革命の本質は、時代の進歩に背を向けて既得権益を堅持しようとする反動の要素も強いです。

「イスラム革命」を目指す戦略には様々なバリエーションがありますが、おおまかに次のような戦略を主張しています。

  1. (欧米に倣って社会制度の変革を進める)アラブの世俗国家を倒し、カリフ制イスラム国を創る。
  2. そのために、世俗国家の後ろ盾になっている欧米(イスラエル含む)をこの地域から追い出す。

ハマスや他のテロ組織がイスラエルを攻撃しているのは、アラブ世俗国家打倒の前段階であって、パレスチナの人々の生活や雇用な人権や安心を、どれだけ改善したところで(それはそれで大切なことですが)、テロの殲滅には直接には関係がないのです。

「イスラエルvsアラブ」は昔のことで、今はアラブ世界内の「イスラム革命派vs世俗派」対立です。イスラエルは、欧米的な自由と民主主義の価値観をアラブ世俗派にもたらしているとして攻撃されているのです。

そして、筋金入りのイスラム革命思想家は、ほんの一部のエリートに過ぎず、大半のテロリスト戦闘員は、「高等教育を受けて卒業したのに、仕事がない」というような社会への不満を表現できる就職先としてテロ産業があっただけで、虚構の「憎しみストーリー」で洗脳されて生命を投げ出してしまったのではないでしょうか。

ベギン・サダト戦略研究センター所長のエフライム・カーシュ教授によると

2000年から2005年にかけての第二次インティファーダでの自爆テロリスト、156人の男性と8人の女性の身元は、基礎教育しか受けていないのはわずか9%で、22%が大学卒業者、34%が高校卒業者だったとのことです。

日本の幕末でも、最初は吉田松陰のような思想家が運動を始めましたが、徐々に、実務家に主導権が移っていきました。運動だけなら熱が冷めたら萎みます(日本の全共闘のように)。でも、いつまでも継続しているのは産業化しているからです。

イスラエルとパレスチナだけがニュースで大きく取り上げられているだけで、中東全体が醜いです。隣のシリア内戦では、政府が自国民を相手に化学兵器を使用し、この10年間で約50万人が殺され、660万人が難民となっています。アラブ世界全体で、テロは多くの雇用を支える巨大産業となっています。

テロはとにかく、お金がかかります。

猛威を奮っていたIS(イスラミック・ステート)が、急速に衰えたのは、主要油田を奪われて資金力が乏しくなり、優秀な戦闘員が他組織に流れたからと言われています。

テロ行為そのものだけではありません。テロ要員の募集と宣伝、武器や爆発物や運搬具などの購入と整備、訓練や下見、身分詐称のための偽装工作、その間ずっと人件費を払い続けなければなりません。

子供達に憎悪を植え続けるための教材等を作り、教育し続けるのも資金が必要です。

その膨大な支出を支える収入としては、麻薬や誘拐などの(イメージの悪い)非合法ビジネスは先細りで、何よりも大きいのが、他国からの援助です。

武力闘争産業については、国家が強い力で潰さなければなりません。しかし、パレスチナ自治政府は、あろうことか、武力闘争産業を支援しています。

「ハマスを潰しても、新しいハマスが生まれる」とは、「企業がつぶれても市場がある限り、新しい企業が生まれる」と同じような意味です。

パレスチナ自治政府は、自爆テロを起こしたパレスチナ人の遺族に対し、殺したイスラエル人の数が多いほど金額が多くなる補償金を支払っています。また、テロ行為により、イスラエルの刑務所に入ったその日にパレスチナ自治政府職員の地位を与えて、給料の支払いが始まります(刑期が長くなるほど月額が増え、収監期間が5年を超えれば年金がもらえます。)。

これらにかかるパレスチナ自治政府の支払いは、国家予算の約7%(テロリスト給与1.55億ドル、テロリスト遺族年金1.85億ドル/総予算50億ドル:2018年)と推定されています(米国(テイラーフォース法)、カナダ、オーストラリア、オランダの4か国は、これを理由にパレスチナ自治政府への援助を止めています)。

その額の「海外からの援助額全体に対する比率」が、2017年には49.6%になったという指摘もあります。

ガザも西岸も、政府が経済面でテロを促進している仕組みになっており、これで、社会が安定するはずがありません。国際支援から生まれる既得権益が、和平を妨害しています

イスラエルの首都テルアビブからヨルダン川西岸まで約20km。東京駅から埼玉県境までよりちょっと長いぐらいです。

仮に、「埼玉県民が東京都民をテロで殺害すれば、埼玉県庁から毎月の給料が貰える」という制度があるとすれば、どうでしょう。東京都民は「埼玉県民は、とにかく遠くへ出て行って欲しい」と願わないでしょうか?

テロが頻発している国では「近づいてきて自爆テロされるんじゃないか」と疑心暗鬼になれば、こちらに歩いてくるだけで「テロリストなんじゃないか」と気になるし、大きな荷物を持っていれば、ポケットに手を入れただけで「ポケットの中の起爆スイッチを押すんじゃないか」と不安になります。

差し迫った生命の危険を感じている警察官に「法違反だよ」と言ったところで、生命は一つしかありませんから、法より(自分の)生命の安全を優先するでしょう。

「テロ」と「テロに対する過剰反応による行き過ぎた取り締まり」は「卵が先か鶏が先か」ではありません。あきらかに、まず「テロ」を無くすことを考えるべきです。

武力闘争産業に携わるものは、平和実現による市場縮小を何よりも恐れています。

「他に手段のない虐げられた人がテロを起こしている」論の誤り

「他に手段のない虐げられた人がテロを起こしている」という主張があります。

パレスチナについて書けば、そんなことはありません。シリアやスーダンやナイジェリアで、どれだけ紛争で住民が死んでも殆どニュースにならないのに、「パレスチナ問題」は、すぐ大きなニュースにしてもらえます。テロを起こす理由は、大きなニュースになることを利用した話題作りです。

パレスチナで平和への動きが進みそうになると、その動きを壊すための周到な計算のようにテロが起きて、イスラエルとパレスチナへの両方で憎悪が増すのです。テロリストは平和に近づきそうになると平和を壊すこと自体を目的としてわざわざ暴力を起こしているのです。

世界的ベストセラー『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』の著者で、現代を代表する「知の巨人」であるユヴァル・ノア・ハラリ氏の文章を借ります。

イスラエルは、1990年代にオスロでの交渉で和平の機会を作った。(略)

イスラエルがそこまで譲歩したことは後にも先にもない。この交渉の最中に、イスラエルはパレスティナの自治政府にガザ地区の支配権を部分的に譲り渡した。その結果、どうなったか? イスラエルは、それまで経験したなかで最悪のテロ活動にさらされた。(略)

2000年代半ば、(略)イスラエルにとって、ガザ地区からの撤退は依然として重大な一歩だったので、この実験の結果がどうなるかを、イスラエルの人々は固唾(かたず)をのんで見守った。そして、パレスティナ人がガザを、中東のシンガポールとでも呼ぶべき、繁栄する平和な都市国家に変えようと真摯に努力し、自治の機会を与えられれば何ができるかを世界やイスラエルの右派に示すことを、左派の残党は願った。(略)

ところが、ハマスがガザ地区を武力制圧してテロ基地に変え、そこからイスラエルの一般市民に対する攻撃を繰り返した。こうして、この実験も失敗に終わった。

イスラエルの左派の残党は、これで完全に信用を失い、ベンヤミン・ネタニヤフが権力の座に就き、彼のタカ派の政権が成立した。そして、ネタニヤフが先頭に立って新たな実験を始めた。平和共存が失敗に終わったので、彼は暴力的共存政策を採用した。

イスラエルの歴史家が予見「ハマス紛争」次の展開

これに対して、テロを容認する人は「イスラエルの譲歩が足りなかった。もっと譲歩が必要だ」と言います。しかし、譲歩の大きさが問題なのではなく、「譲歩には譲歩で歩み寄る」ことが大切であって「譲歩に勢いを得て、さらなる譲歩を迫る」では、うまくいくはずもありません。

残念なことに、

イスラエル国民の多くは、宥和政策では前に進まないことを学び、強硬派に転じたと言われます。

ハマスは、具体的な政治目的を持ってこの戦争を始めた。その目的とは、和平を妨げることだ。イスラエルは、アラブ首長国連邦とバーレーンとの平和条約に調印した後、サウジアラビアと歴史的な平和条約を今にも締結しようとしていた。(略)その平和条約の条件には、パレスティナに対する大幅な譲歩が含まれることになっていた。イスラエルの占領地域に暮らす何百万もの人の苦しみをただちに和らげ、イスラエルとパレスティナの和平交渉を再開するためだ。

和平と国交正常化が実現する見通しは、ハマスにとっては致命的な脅威だった。

イスラエルの歴史学者が語る「ハマス紛争の勝者」

また、ダジャーニ・ダウーディ氏は、次のように書いています。

かつてPLOファハタの活動家だったパレスチナ人のダウーディ氏はオスロ合意のあった1993年までは、反イスラエル活動を理由としてイスラエルの入国を禁止されていました。しかし、この少し後から、(後で詳しく紹介する)個人的な体験により、イスラエルとパレスチナの和平の活動をするようになります。

オスロ合意はもう一つの本質的な変化をもたらした。これからは、パレスチナ人対イスラエル人、イスラエル人対パレスチナ人ではなく、川から海まで一方の国家を信じて他方を排除するマキシマリストのパレスチナ人とイスラエル人、そして穏健派のイスラエル人とイスラエル人になる。(略)

パレスチナ過激派はすぐにオスロ合意に反対して和平の流れを狂わせる戦争を始めた。この合意では、エリコとガザ地区におけるパレスチナ人の自治から始めることが定められていた。これに対し、過激派は「ジェリコが最初で最後」というひどいキャンペーンを展開した。(略)

一般的なレベルでは、パレスチナ人もイスラエル人も観客席に座って劇を鑑賞していた。どちらも平和を望んでいたが、その実現に積極的な役割を果たすことができなかった。過激派による暴力の勃発により、空気が恐怖で満たされ、信頼が最初の犠牲者となり、協定の目標を実現するための大衆運動となり得たはずの活動が麻痺した。イスラエル民間人に対するハマスの自爆テロ作戦はイスラエルの平和陣営を大きく損ない、一部の穏健派イスラエル有権者が過激派政党に投票するようになった。イスラエルの右翼過激派政党はイスラエル政府を掌握し、オスロ和平プロセスの列車を停止させることを決意した。

The Oslo Accords Held Promise; Extremists Derailed Them

Rewrite & Republish

ダウーディ氏の言うように「イスラエル人vsパレスチナ人」ではなく「過激派vs穏健派」は正しいと思いますが、筆者は「過去にこだわる既得権益派vs未来志向派」を付け加えます。

筆者は
「過激派」ではなく「穏健派」を、
「既得権益派」ではなく「未来志向派」を応援しますが、

「イスラエル人vsパレスチナ人」には、興味がありません。
「民族」「宗教」「文化」の違いを対立原因として持ち出し、論点をずらすのが「既得権益派」のやりかたです。

「暴力の連鎖」論の誤り

テロ産業は、暴力で権益を守る

イスラエルでは、暴力的な活動をすれば逮捕されますが、
ガザでは、平和的な活動をすれば逮捕されます。

例をあげます。ガザの平和活動家のラミ・アマン氏です。

ラミ・アマンは、ガザでハマスの支配下に暮らしながらハマスに立ち向かい、イスラエル民間人との和平を求めることがどのようなものか知っている。そうすることで拷問を受け、追放された。

2020年、ガザ青年委員会のリーダーで現在カイロに住むアマンは、国境を越えたビデオ通話を企画したとしてガザ市の刑務所に投獄された。「Skype With Your Enemy」と名付けられたこの活動は、双方の敵対的な政治指導者を回避し、イスラエルとパレスチナの一般の人々の間で関係を構築する取り組みだ。投獄されたアマンは、目隠しをされ、一度に数週間にわたって緊張状態に置かれ、最終的にはパレスチナ領土からの退去を強制された。

イスラエルはパレスチナ人がハマスに対して蜂起することを望んでいる。実際にやった人は、今ではそれは不可能だと言っている。

ラミ・アマン氏の拘留は、70のNGOから国連人権理事会に提訴され、約6ヶ月の拘留の後、釈放されます。

青少年委員会の最もよく知られた取り組みは、「Skype With Your Enemy」という、ガザ地区でのイスラエル人とパレスチナ人の小規模なビデオチャットであ​​る。2020 年 4 月のチャットには 200 名を超える参加者が集まった。

話題は新型コロナウイルス感染症とガザ内の状況だった。青少年委員会はそれを秘密にせず、フェイスブックでイベントを公開することさえした。しかし、残念なことに、イスラエル人とパレスチナ人が話すことに腹を立てる人もおり、それが怒りを引き起こし、ハマスはアマン、アル・シャリフ、その他数人のガザ青年委員会メンバーを逮捕した。

ニューヨーク・タイムズ紙によると、容疑はイスラエル人との「正常化活動を行った」ことだという。

ガザでの生活:シリア人女性のハマス体験とイスラエル・パレスチナ関係改善への取り組み

この、イスラエル人とガザ人の国境を越えたビデオ通話への別の参加者が、マナール・アル・シャリフさんです。彼女は、シリア生まれで内戦を逃れて家族でエジプトに移住した後、ガザの大学に入学します。

シャリフさんはジャーナリズムを学ぶために2017年にガザに来たが、学校内に吹き込まれている「ハマスのプロパガンダ」に愕然とし、わずか数カ月で中退した。彼女は、大学はイスラム過激主義に満ちており、そのメンバーを募集するために学校が利用されていたと述べた。

一人のアラブ人女性の旅 – ガザからカナダまで

「外部の人のほとんどはガザ人について『ああ、彼らはこの状況に対して何もしていない』と言っているが、実際には彼らは努力しているが、選択肢はない。ハマスが彼らが声を上げることを妨害している。」

アルシャリフは、ガザ人の声を広め、ガザ人と世界中の人々との関係を築くことを願って、フリーランスの執筆活動を始めた。彼女は、ガザ内部の状況、機会の欠如、そして政党(ハマス、ファタハ、PLO)に参加しないガザ人には未来がほとんどない、あるいはまったくないことについて書いた。

「これが、彼らの置かれた状況が厳しい理由です。ガザで給料をもらえるのは政党の一員です、ですから、政党に属していない人々には選択肢がありません」とアルシャリフ氏は説明した。

「お金を得るためには政党に参加しなければなりません。家族のためにお金を稼ぐためにも政党に参加しなければなりません。」

ガザでの生活:シリア人女性のハマス体験とイスラエル・パレスチナ関係改善への取り組み

2018年から2019年にかけて、「私たちは生きたい」というスローガンのもと、より良い生活環境を求めて街頭に繰り出す若者たちの自発的な運動が起きた。数十人の抗議参加者が逮捕され、残酷に殴打され、アルシャリフ氏は殺害された人もいると主張している。

テロ組織の抑圧的な治安組織との最初の遭遇で、アル・シャリフはハマスの男女混合禁止に違反し、アパートで男性と女性が参加する夕食会を主催した罪でハマス当局者らに殴打され、2日間投獄された。(略)

「ほとんどのガザ人はハマスよりもイスラエルとの取引を望んでいる」とアルシャリフ氏は主張した。「刑務所には私と一緒に二人の女の子がいました。そのうちの1人は、機密サイトの位置情報を送信した疑いで、イスラエルに協力した罪で懲役7年を言い渡されていました。もう一人の少女は、芸術作品を制作しイスラエル人に販売した罪で夫とともに投獄されていました。」

「私にはガザに家族がハマスに殺された友人がたくさんいます。パレスチナ自治政府、あるいはイスラエルと協力した疑いをかけられたためです。ハマスに所属していない人は誰でも起訴される恐れがあります。(略)」

アルシャリフ氏は、ガザ住民の約4分の1が現役の工作員、公務員、治安部隊の一員としてハマスに関わっていると推定した。彼女の見解では、人口の残りの 75 パーセントは、むしろテロ集団なしで生きたいと考えている。「ガザ人はハマスの指導部に対して非常に怒っている。」

「ハマス下の生活はISIS下のようなものだ」とガザから追放されたシリア生まれのジャーナリストが語る

平和はテロを殲滅することから

日本に置き換えて考えてみましょう。

第1次中東戦争でパレスチナ難民が発生する3年前の1945年、第二次世界大戦で、ソ連に不法占拠された千島列島の北方領土から追い出された旧島民は、約17,000人です。

ソ連から引き継がれたロシアの不法占拠は不当であり、旧島民の帰還を求めていかなければなりません。でも、だからと言って、ロシアにミサイルを打ち込んだりしないし、ロシア人を虐殺したりしないし、人質に取ったりしません。

旧島民は、戦後の苦難の中で、生活自立を果たしてきました。権利は主張しながら、歯を食いしばってでも新しい生活を確立していくのが、大人の対応です。

もし、彼らが「われわれは被害者だ」と、子の世代、孫の世代と生活保護で生きてきたなら、国民から猛バッシングを受けるでしょう。

日本の戦後と異なり、パレスチナの不幸なことは、産業に乏しく仕事が少ないことです。

仕事も将来の希望も無いことが原因でハマスの武装活動に就職してしまった人は、仕事が見つかり、生活向上が実感できれば、武装活動に参加しなくてよくなります。(多くの場合、テロ実行報酬に比べると、収入は少ないですが)

しかし、その一方で、子供の頃から武装活動一筋で、職業経験がなく、戦闘技術しか持っていない戦闘員は、平和を恐れているかもしれません。用済みになってしまうからです。そのとき、彼らは、平和を壊すことに躍起になります。

ですから、パレスチナの人達の雇用や生活や人権や安全を向上するためには、暴力を力で押さえ込み、断ち切ることが絶対に不可欠です。それがなければ、全てが絵に描いた餅になってしまいます。

そして、平和は、テロの殲滅から始まります。

「力による平和」とは「暴力で他人を死傷させれば、洩れなく刑を受けることで、治安が維持されているという、法治国家では当たり前の体制」という意味です。

イスラエルの侵攻で、ガザの住民に甚大な被害が出ることは、避けたい「悪」です。
しかし、このまま無条件の停戦をして、テロリストが未来永劫にテロを続けることは「最悪」です。

「悪」か「最悪」かの二者択一を迫る状況に持っていくのが、テロリストの手法です。

下で紹介するアラ・モハメド・ムシュタハ氏のお父さんはガザのイマーム(イスラム教指導者)でしたが、ハマスの指示どおりに説教することを拒み、この12月30日に連行されました。次のように書いています。

12月30日土曜日、私たちの玄関ドアが破壊され、20人の覆面男たちが押し入り、ここガザで広く尊敬され、深い知識を持ったイマーム(イスラム教指導者)である父を連行した。(略)

ハマスが私の父を殺したら、イスラエル軍がやったと言うだろうと私は知っています。しかし、父は、たとえ死んでも、彼らが彼に対して行った卑劣な要求を知らせるべきだと強く考えていました。文字通り、彼が玄関から運び出されるとき、私たちへの彼の最後の要求は、もし彼が死んだら、私たちは彼の死の本当の理由を公表するべきだというものでした、そしてそれはこうでした。

彼はハマスに言われたことを説教しようとしなかった。彼は、暴力的な抵抗とハマスへの服従が現在の地獄から抜け出す最善の方法であるとガザ人に伝えることを拒否した。

ハマスは現代の預言者のふりをして、自分たちを預言者ムハンマドの仲間に例えて私たちの宗教を悪用しています。(略)

今回は以前の戦争とは異なります。今度は人々が真実を語ります。  

10月7日以前、人々は恐れていましたが、もちろん今でも恐れている人もいますが、皮肉なことに、戦闘があるとハマスは地下に潜るので、人々はハマスがいかに私たちの生活を破壊したかについてより声を上げることができます。人々はハマスの法律、規則、命令、命令に公然と逆らい始めています。彼らは街頭や市場でハマスとその指導者たちを公然と罵り、まだ地上にいる少数のハマス幹部や警察の指示を無視しています。(略)

人々は自由を望んでいます。私たちはこの戦争が終わり、ハマスもこれで終わることを深く願っています。

私の父はガザのイマームです。
ハマスは操り人形になることを拒否したとして彼を誘拐した。

人間の盾のため市民が犠牲になるのと、最初から市民を狙って残虐に殺害するテロとは次元が違います。「ハマスも悪いけど、イスラエルも・・・」という「どっちもどっち」論は、つまり、テロ容認論です。

「テロをするには、それだけの理由があったのだ」とか「テロされる側にも理由があったのだ」というのも同じです。

「テロ」と「テロに対する過剰反応による行き過ぎた取り締まり」は「卵が先か鶏が先か」ではありません。あきらかに、まず「テロ」を無くすことを考えるべきです。

「テロ」は平和を壊すことが目的ですから、「テロに対する過剰反応による行き過ぎた取り締まり」を無くしたところで、テロは減りません。いや、増えるだけです。

テロを減らせば、行きすぎた取り締まりも減っていくのです。「行きすぎた取り締まり」を減らすためには、逆説的ですが、たとえ行き過ぎていてもテロを取り締まるしか方法がありません。

「テロ」と「テロに対する行き過ぎた取り締まり」は暴力の連鎖ではありません。悲しいことですが、現実を見ていると「テロに対する行き過ぎた取り締まり」が弱すぎることが、暴力の連鎖を呼んでいるのではないでしょうか。


イスラエルの政策は、欧米日ら人権先進国の基準から見れば、大いに問題があります。しかし、先進国基準が通用しない国、地域だらけの中東紛争地において、イスラエルだけを先進国基準で裁くのは無理があると思います。

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