Colabo不正疑惑に見る、政府から民間へ委託・補助金という仕組み

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一般社団法人Colaboと代表の仁藤夢乃氏

Colabo代表の仁藤夢乃氏は、困難な問題を抱える女性への支援のあり方に関する検討会や有識者会議に参加しています。また、仁藤氏が代表を務めるColaboは、この新法に基づく仕組みづくりのモデル事業として、DV被害者等自立生活援助事業や若年被害女性等支援事業を受託したり、補助金を受けたりしています。
事業の実施を受けて得た知見を、基本方針や仕組み作りに反映するように期待されているのです。

会議に参加している有識者は役所のイエスマンが選ばれがちですし、厚労省にしたって現場を知らないのでイメージ以上の肉付けはできません。現場を知っている影響力は大きいです。

仁藤氏らが構想し、それを厚労省が法や要項・仕様書のモデルとし、都がローカライズします。もし、Colaboが実施している事業の実情と仕様書に食い違いがあれば、それは仁藤氏らの構想を役人が十分に理解せずに誤った文章化をしてしまった、と、言い掛かりをつけかねられません。それは役人にとって困ったことなので、「実情に応じて柔軟に判断してください」をオウムのように繰り返しているようです。

仁藤夢乃氏の攻撃的な言動に対する苦情は、本人にはいかず都庁に行くと思うので、都担当者が気の毒でなりません。

仁藤夢乃氏の強烈な個性

筆者が最も問題があると感じていることを書きます。それは、疑惑そのものではなく、仁藤夢乃氏の関係者との連携や信頼関係を軽視する未熟な姿勢です。

この事業の重要なポイントは、民間団体の活用と合わせて関係機関との連携です。先行実施しているColaboは、このモデルを後続の全国の民間団体に見せていかなければならない立場なのです。

でも、仁藤氏は、活動報告書やツイートを見ても、関係機関との連携に非常にネガティブなだけでなく、他機関同士が連携を取ることさえ、文句を言っていたりするのです。

児童虐待の防止等に関する法律

(児童虐待に係る通告)
第六条 児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、(略)福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。

(略)
3 刑法(明治四十年法律第四十五号)の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第一項の規定による通告をする義務の遵守を妨げるものと解釈してはならない。

→【筆者解説】虐待の通告は守秘義務や個人保護に優先します。

公開されたバスカフェの報告に次のようなものがあります。

児相に不適切な対応をされ虐待のある家に戻された子がいた(活動報告書2020.11.4)

虐待から逃れて児相にSOSを出したがホゴされず街に出てきている子がいた(活動報告書22.5.4)

まず、家出少女は、家に連絡を取られたくないから「家で虐待された」と言いがちです。また、児相にも通告されたくないから、児相で相手にされなかったと言いがちです。しかし、実際のところは分かりません。

家出少女に寄り添う一方で
少女が、家出という状況で、自分に都合よく話している可能性も複眼的に考えることは、最低限、必須です。

虐待事案では、大抵、皆の言い分が違います。
親「虐待していない」←言うことがコロコロ変わる
子「虐待された」←言うことがコロコロ変わる
学校「虐待された形跡がある」
児相担当者「虐待されたと思われる」
証拠と照らし、関係する人たちが複眼的に判断して判定できるものなのです。

もし、事実誤認し、家に戻すべき家出少女を、虐待と決めつけ、法で義務付けられている児相にも連絡せず、親と連絡すら取らなかったとしたら。

上は2021年度の報告書ですが、同行支援に「家庭」がないのが、非常に気になります(おそらく、他機関に連携して任せたと言うと思いますが、だったら、連携をもっと重視して欲しいです)。

家出少女と家族の関係性は実際はどうなのか。家出少女の話だけでは、真実はわかりません。家庭との改善関係がなければ、決して解決しないと思うのですが。

Colaboの会計不正疑惑

今、主に騒がれているのが、東京都から受託した若年被害女性等支援事業、補助金を受けたDV被害者等自立生活援助事業での報告書が杜撰すぎるということです。確かに杜撰すぎて皆の注目を浴びたのも当然だと思います。

会計不正疑惑の具体的な細かい内容については、あちこちで書かれているので、書きません。

簡単に言うと、数字の間違いから指摘された「実績が実在していたのか」と言う疑惑です。

文章でダラダラ言い訳するのではなく、区分経理された決算書や証拠書類を公開しなければ、批判はやまないと思います。

ただ、これは前述したとおり、「事業をしてみて、その結果を反映しながら作っている制度」なので、事業をしていく上で不都合があれば、変更契約して項目追加すれば済んでいた問題なのです。

(要綱や仕様書より上位にある)新法の附則抄の「必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずる」は個々の対応のことではないですが、そういう柔軟な「考え方」で動いているということです。変更契約書を作るのは、都側の役割であり、都の担当者は、半世紀ぶりの制度改正ということで、考えなければならないことが山ほどあって、形式的なものは、後回しにしがちだったんだと思います(そのうちに忘れてた)。

繰り返します。Colaboが都が決めた仕様書に黙々と従って事業をおこなう仕組みではありません。主導権は、有識者会議の仁藤夢乃氏らにあるのです。

さくら
さくら

「所要の措置」については、ほぼ何も決まっていません。

以上、知らなければ不可解にも思える都の対応の背景を説明しましたが、だからと言って、報告書が杜撰でよかったということには、全くなりません

もちろん、Colabo側には、杜撰な報告のほかに、都との連携を蔑ろにしていたという落ち度があります。今は仕組みを作るために試行錯誤している段階なのですから。

杜撰な報告書の話に戻せば、しょせん、数字のミスなのですから「間違っていました」と言えば「Colaboは忙しくて、会計報告まで手が回らなかったんだろう」と同情されたかもしれないのです。そこを、強情に間違いを認めなかっただけではなく、「疑惑への監査請求はリーガルハラスメント」「誹謗中傷に法的措置をとってやる」なんて言うものですから、もともと中立的だった人たちさえ、批判側に回してしまったのです。筆者の場合は「自分のミスさえ認められない人に、福祉政策の立案を任せるのは不安だな」と思いました。これは、不正会計疑惑よりもはるかに深刻な問題です。

国が想定している民間事業主体

もう一つ、たとえば国(都)の「若年被害女性等支援事業実施要綱」では「社会福祉法人、特定非営利活動法人等に委託等することができる。」と書かれています。

この「委託等」の「等」に「Colaboのような一般社団法人を含めるのはどうなんや?」という論点があります(それは後で書きます)。

国が想定している「社会福祉法人」とは、婦人保護施設もありますが、数が多い児童養護施設(全国612カ所)なんかじゃないかと思います。児童養護施設は、18歳以下を対象としているイメージですが、実際には、退所者のアフターケアも取り組んでいます。

大半の社会福祉施設は、すでに施設(建物等)を所有していますが、通常経費の他に施設整備への公金補助の仕組みもあります。若年被害女性等支援事業等を実施するにはシェルター(不動産)が不可欠ですが、今の公金対象経費はランニングコストだけです(賃貸にすることで、不動産をランニングコストにすることはできますが、その場合にも制約は多いです)。それ以外にも、国の想定で計算してみると、新規参入者にはハードルが高く、既にある社会福祉法人が、追加事業としてこれらの事業をおこなうことを主眼にしていたのかなと思えます。

役所というのは、既存業界の既得権益をまず優先して考えます。

ただ、既存の社会福祉法人から、これらの事業等に手を挙げたところはありませんでした。保守的に様子を見ているのかもしれませんが、ビジネスとしても魅力に乏しいんだろうと思います。

社会福祉法人の施設の事務費・事業費は、国や自治体が定める経費ごとの保護単価に実績を乗じて公費から出されますが、通常、支払額が実績額を上回って余りが出ます(会計風にいうと利益)。わかりやすい理由の一つは、生活用品などは想定される耐用年数より長持ちして使えるからです。それでも、高齢者福祉に比べれば、格段に経営は厳しいです。

しかし、若年被害女性等支援事業等は、事業規模的にも実績的にも、保護単価設定が難しいため、実績払いの仕組みとなっています。これでは、倹約に努めても全く余りが出ないため、結構厳しい仕組みです。数年後には、この事業も保護単価での積算になると思います。

現在、受託している団体(東京都は令和3年度から本格実施となり4団体)はボランティアを前提としているから実施できていると思います。

Colaboの会計上の疑惑は「不正」というより「杜撰」というのがふさわしく、総額としては、自主財源からの持出の方が多いんだろうと思います。

Colabo2021年度の全体経費109百円のうち大半は都の事業と同じ目的で、そのうち公費充当は34百万ちょっと(都からの一時保護委託の収入がわからないです)。おそらく、「どうせ上限を超えているんだから、報告は形式的なものでいいやん」みたいな感じだったんだろうと思います。

さくら
さくら

会計報告には、現物寄付やアマゾンギフトなどを金額換算していることもあり、ボランティアの対応とか、実態はわからないです。

一般社団法人という(法人税回避の)スキーム

制度的に問題があるのが、一般社団法人という制度です

一般法人のうち、都道府県(複数都道府県に事務所があれば内閣府)で、公益認定を受けたものが公益法人となります

公益法人は、法人税等が優遇される一方で、利益が積み上がることがないように厳しい制限があります。

しかし、非営利型に分類される一般社団法人は、法人税についても準ずる程度の優遇がある一方、利益の蓄積については制限がないのです。

これは、公益法人改革の際に、公益法人に移行できずに、一般法人となった団体への救済処置という面もあったと思います。

このため、一般社団法人Colaboは、2020年度は123百万円、2021年度は354百万円、のように利益を上げながら、法人税を定額70,000円/年しか払っていません。

Colaboの多額の寄付金収入は、Colabo以外からの法人税逃れに使われているのではないか、という疑惑をもたれかねません(筆者は、それはなさそうと思っていますが、財産目録ぐらいは公表してもらいたいです)。

ただ、これも制度の問題であり、この制度を利用して甘い汁を吸っている団体はいくらでもありますので、そこから正さなければなりません。

Colaboの政治的な活動

また、Colaboには、シェルターに保護した若年女性を、沖縄合宿として連れ出し、辺野古の基地造成工事反対の座り込みに動員させているというような疑惑もあります。

辺野古疑惑については、弁護団は次のように弁明しています。

Q2 東京都若年被害女性等支援事業実施要綱では、「政治活動を主たる目的とする団 体」は事業主体になれないということになっている。Colaboが辺野古や韓国などで政治活動をしていることは、この要綱上問題ではないか

A 全く問題はない。Colaboは、上記要綱にいうところの「政治活動を主たる目的とする団体」には該当しない。

(略)
Colaboは、性暴力や性搾取から女性を守るために設立され活動している団体であり、すべての性暴力・性搾取に反対している。そして、Colaboは、戦時性暴力や沖縄での性暴力も、Colaboが取り組む問題と地続きであると考えており、沖縄や韓国においても、政策提言活動の一環として行動してきたものである。

(略)
Colaboとつながった女性たちが、仁藤やスタッフと一緒に辺野古や韓国に行ったことはあるが、それはその女性たち自身が自らの意思で参加することを決めたためである。また、時に、女性が辺野古における座り込み抗議に参加したことをもって、Colaboが女性に 座り込みを無理強いしたかのような流言があるが、これも座り込みに参加することは一切無理強いしていない。実際に、参加しなかった女性もいた。繰り返しになるが、参加意思が ない女性をColaboが「動員」するなどということはあり得ない。 上記のように、まるで被支援者の女性には意思決定する能力が無いかのような決めつけ自体が、若年女性たちを主体的意思のない「弱者」として見下す偏見に根ざすものである。女性たちは、過去に虐待や性搾取の被害に遭う中で、現在の社会における性差別をよく見つめており、Colaboが行う政策提言活動が、自身が受けたような被害の救済と重要 な関連があると認識し、賛同して共に行動することがあるというのが実態である。

正直なところ、この弁明が出るまでは、筆者はこの疑惑に対して半信半疑でした。ところが、弁護団自身が、これを肯定してしまったのでした。
疑惑は、「都から委託されてシェルターに保護した女性を、辺野古座り込みに動員したのか?」でした。筆者は「都の委託事業としてはもちろん、Colaboとしては与り知らぬことであり、仁藤氏の個人的な活動としておこなったことだ」というふうに言い逃れするのかなと思っていましたが、これを否定するどころか、せっかくの注目された機会を借りて、弁護団が持論の「自立した女性観」を披露したい熱情に駆られたばかりに、疑惑内容を前提とした内容で、オウンゴールしてしまったのでした。

いやいや、虐待やDVから逃れてシェルターに保護されている女性を、テレビや新聞雑誌等で顔が全国に流れる可能性もある(違法の)辺野古座り込みに「誘うこと」自体が、都の受託者としてアウトではないでしょうか?

Colabo弁護団は、よくある、「ネトウヨ対パヨクのバトル」という方向に世論誘導したくて、やっているのかもしれません。

それはないな。ただ「ネトウヨ対パヨクのバトル」と思われれば、大多数の人はドン引きするだけだからね。

弁護団のこだわりは、このように解釈できます。
筆者の考えている「女性の自立支援」は、「経済的自立」と「社会的自立」のことですが、Colaboのそれは、おそらく「政治的自立」も含むんです。
つまり、筆者から見れば「女性の自立支援」と「辺野古座り込み」は完全に別物ですが、Colaboからすれば「女性の自立支援」は「辺野古座り込み」にまで昇華されるべきもの。つまり、「辺野古座り込み」は「女性の自立支援」そのものなんです。
筆者から見れば「変な信念だな」と思いますが、そのような信念があるからこそ、若年女性支援に、あれだけの情熱をかけることもできたんだろうと思うんです。

外れてるかもしれないけど。

ただ、その信念は、都の委託事業として発揮すべきではないですね。


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